パリ徒然草

パリでの暮らし、日本のニュース、時々旅行、アート好き

その本読むな問題で夫と喧嘩 「自由、平等、友愛実現の難しさよ」

 数日間、夫と言い争って来た。

 傍から見たら喧嘩とも言えるかもしれない。

 「ヒトラーの書いた本を読むなら離婚する」問題についてだ。

 私は、そもそも「離婚」という言葉を簡単に使うな、そのフレーズは脅迫であり、脅迫そのものはどの国にとっても法律違反じゃないのか、と言った。

 

 夫は世界中で同じ教育が行われているのだと思っていたようだ。いやいや、教育内容特に現代史教育は各国で違うのです。

 

 頭ごなしに禁止するのではなく背景を説明してくれ、夫にフランスの法律について尋ねた。人種差別を禁止するゲソ法について読んだ。

 そしてフランスで禁止されている本についてネットで、調べた。きちんとしたリストはないようだが、数年前に450冊と言った専門家もいた。うーむ、結構ある。自殺についての本が禁止されていたり、2013年にユダヤ人差別に関係しそうな5冊が出版禁止になっていた。例えば、日本では出回っている「シオン賢者の議定書(Protocoles des Sages de Sion )」も禁書である。

 

こちら「シオン賢者の議定書」を禁止するフランス政府のサイト

https://www.legifrance.gouv.fr/jorf/id/JORFTEXT000000708686

 

 実は私が夫にこの本禁止と言われたのは今回が2冊目で、1冊目の「シオンの賢者の議定書」のときは、引き下がった。フランス政府のお墨付きだったからだ。

 

 ヒトラーの「わが闘争」は、解説文付きで発行するなどの決まりはあるが、禁書ではないようで、家に、ヒトラーの本を持ち込まず、話をしないなら、こっそり読むのはOKというところまでは取り付けたが、本当は夫は相当腹に据えかねている模様。相当怒っている。そこまでこだわっているなら私自身がもう読む気がなくなってきた。私も夫も読んだことがない本について議論しても不毛な議論である。

 

 さらに話は急展開し、夫が「この2ヶ月、君は変わってしまった。トランプを応援するなんて許せない。Qアノンなんか信じやがって」と言い出した。

 はあ?私がいつ、Qアノンを支持したの?だいたいアメリカ大統領選なんて私にも夫にも投票権もないのに、どっちの俳優が好きかで争っているようなものでしかない。私が書いているブログ読んだことある?この2ヶ月に2回だけ読んだ、と夫は言った。トランプ大統領の4年間、戦争はなかったとは書いたけど、読みもせずに一方的に評価されてもねえ。

 

 まあ確かに身に覚えはなくはない。それは宇野正美氏の講演をYouTubeで聞いて2回この日記に書いたことだ。

 

 さらに夫はYouTubeを私が携帯電話で聞くのが夫にとってうるさい、と非難し始めた。夫は、私の嫌いな音楽を聞かないであげているのに…と言われた。急に家にいる時間が増え、狭い家だと大変である。

 

 ちなみに、近く、アパートの屋根の工事のために13000ユーロ(150万円程度)払わないといけない。アパートの住人全員が出し合うものだが、この金額は部屋の広さに比例するので、広いアパートに住めば、その分、出費も増える。このような意味でも出費に関係するので、すぐに大きな部屋に引っ越して、違う部屋というわけにもいかない。

 

 私は夫が家にいる時間はYouTubeでの講演やニュースなどを聞くのをできるだけ辞めることを決意した。フランス語、英語、ロシア語など様々な言語のYouTubeを聴いていた。そうは言っても日本語が多いので、意味が分からないのも近くにいる人にはストレスだろう。ーまた、これで自由を一つ失った。

 

 私の方のストレスもある。私はあまり人にじっと見られ続けるのが好きではない。夫が私の料理の間中、手伝いもせず、手順を覚えようともしないのに、じっと見ている。「きれいにできた」とか評価だけしたりする。私にとっては、ストレスだ。見られていないと寂しいという人もいるのかもしれないが。

 

 外出禁止のせいで離婚が増えるのも分かるなあ。アメリカではバイデン派とトランプ派で離婚が増えているそうである。

 

 せっかく好き同士で一緒にいることを決めたのに、あまりに長い時間ともにいると、相手の粗が見えてしまうのだろうか。一緒にいすぎて相手の行動が気になり相手をコントロールしたくなるのだろうか(私は夫が読む本が気にならないが)。

 

 夫は同じ考えでいてほしいようだ。いやいやいや、国籍も生まれも育ちも年齢も性別も何よりこれまでの経験が違うんだから無理だよ。同じ考え、同じ見方になるはずない。

「違うってことが豊かさだよ。せめて私たち二人だけでも、自由、平等、友愛を実現しようよ」と私は言った。

 

参照記事

https://www.francetvinfo.fr/culture/livres/reedition-de-mein-kampf-peut-on-vraiment-interdire-un-livre-en-france_1253839.html

 

https://www.lemonde.fr/societe/article/2013/11/13/cinq-livres-edites-par-alain-soral-interdits-ou-censures-pour-antisemitisme_3513310_3224.html

 

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%BD%E6%B3%95#:~:text=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%82%B2%E3%82%BD%E3%83%BC%E6%B3%95,%E3%82%92%E7%A6%81%E6%AD%A2%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82

 

https://globe.asahi.com/article/13770841

ラクレットは、個人主義の国フランスの鍋?

今週のお題「鍋」

 


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  私の家には卓上コンロがない。日本では、水炊き、キムチ鍋、すき焼き、チリ鍋、しゃぶしゃぶなど、鍋をよく作った。卓上コンロ様様であった。日本で“鍋“と言うと、この卓上コンロを使い、同じ鍋をいくつもの箸でつつくものであった。

 

 それは、もしかしたら、個人主義のフランスには合っていないのであろうか。フランスでは一人に一皿という食事形式が基本のように見える。新型コロナが騒がしい今、衛生面ではいいことなのかもしれない。

 

 フランス人の夫が卓上コンロは危険だ、と言うし、なんとなく卓上コンロを買わずにいる。フランスにもチーズフォンデュ用の特殊な機械があるようだが、それは持っていない。

 

 すき焼きを作ったときも、フライパンで作って、フライパンを卓上に載せるので、コンロとテーブルをフライパンを抱えて行ったり来たりする羽目になる。重労働である。それでもパリだと、すき焼きの材料は手に入るのでありがたいことだと思う。


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【フライパンで作るすき焼き。パリで買った材料だけで作りました】

 

 鍋とは違うのかもだが、ラクレットチーズを溶かす機械がかなり鍋に近い(と言っても、個人主義のこの国らしくフォークをつつき合わせることはない)。ラクレットは専用の機械を持っている。そして、最近、ラクレット用の野菜は茹でるのではなく蒸し器で作るようになった。この蒸し器で蒸すと野菜が美味しい。

 

 ちなみに、このラクレット用の機械、蒸し器ともに、クリスマスプレゼントで、夫の家族からいただいた。いただいた当初は、私には馴染みがないもので、どう使えばいいか分からず、説明書もフランス語なので、全然使っていなかった。3年間くらいホコリを被っていた。


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 こちらの蒸し器、デザインが素敵だなと思い、今このCristelというメーカーを調べたらフランス製で丁寧に作られた製品のようだ。いい物をいただいていたのに、しばらく使わずもったいないことをした。

 ラクレットの機械とともに今では、ありがたく、使っている。料理にやる気が出ないときのラクレット!という感じで、重宝している。そういう意味では、材料を切っておくだけでいい日本の鍋と似ているところがある。野菜を切って蒸しておきさえば良い手軽さがある。


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ラクレットの機械。ラクレットチーズがとろける】


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【トロ~リとろけるラクレットチーズ】


 そうだ。今年は、自分で自分に卓上コンロをクリスマスプレゼントにしたら、どうだろう。夫は、馴染みがないので、卓上コンロのボンベが怖いのであろう。馴染みがない物は誰でも億劫なのだ。でも、私はしゃぶしゃぶやチリ鍋がちょっと恋しい。

 

Cristelというメーカーの鍋

http://www.cherryterrace.co.jp/product/cristel/design.html

イラついた神経にくつろぎを モネの睡蓮の間


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 パリ、オランジェリー美術館のクロード・モネ(Claude Monet, 1840年11月14日 - 1926年12月5日)の「睡蓮の間」の写真を載せます。モネは印象派を代表する画家で、この部屋はモネの晩年の集大成です。



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 モネ自身がこの絵について「イラついた神経は、静かな水辺の上にゆだねられくつろぎを得るだろう」「疲れ切った人に、その中心で穏やかに瞑想のできる場を提供する」と語っています。

 何度か行きましたが、いつも同じ気持ちではありません。

 あるときは、ここはモネの巨大なお墓のようだ、と思いました。


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 あるときは、ここにいまもモネが生きている、と思いました。


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 あるときは、ジベルニーのモネの家を訪れた後で、絵画よりも、本物の睡蓮の池の方が素晴らしい、やはり自然には勝てない、と思いました。


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 あるときは、雨の日にこの場所に濡れずにいれて、素晴らしい。やはりモネは天才だ、と思いました。



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 あるときは、優しい太陽の光が射し込んでいて、この場所にいれることへの感謝の気持ちが心から溢れました。


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 今回はジョルジュ•クレモンソー(Georges Benjamin Clemenceau、1841- 1929年)のアパートに行った後だったので、政治の働きというものを思いました。1918年11月11日、終戦の日の翌日、モネの友人であるクレモンソーを介してこの絵は平和のシンボルとしてフランスに贈られました。クレモンソーらはモネの意向も汲みながら美術館建設に尽力しました。

 1927年公開当初、この絵は大衆からの支持は得られませんでした。長い間、訪れる人はほとんどいませんでした。第二次世界大戦後、ニューヨークのモダンアートの新たな運動によってモネの晩年の作品に注目が集まるようになりました。今では人が絶えず、ゆっくり瞑想するのは難しい程です。クレモンソーには審美眼、先見の明があったということかもしれません。

 

9月にクレモンソーのアパートを訪れたブログ

https://clairefr.hatenadiary.com/entry/2020/09/20/162745

 


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 今は再ロックダウン中で、この部屋に入ることができません。新型コロナウイルスの影響で「イラついた神経」「疲れ切った人」多い今なのに、残念です。


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 以前に撮ったこの部屋の写真を見ています。目を閉じてその部屋の中にいた感覚を思い出そうとしています。残念ながら、この空間に抱かれる感覚は写真や動画では伝わりません。


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児童虐待にNO! 28年前、ローマ法王の写真を破った歌姫 

 急に何もかもが嫌になった。

 フランス語の本を読むのが嫌になった。

  友達に言わせると美しいフランス語かもしれないが、私には風景描写が長くて退屈だ。知らない単語も多い。

 外は雨。今日は、ジョギングも辞めておこう。友達から電話がかかって来て、公園に行くよう薦められた。友達は森のそばに住んでいるから、土曜や日曜の少しの晴れ間のパリの公園や通りにどんなにたくさんの人がいるか見たことがないのだ。

 

 私はどんなに人が多いか説明し、夫の同僚が携帯電話を力づくで盗られた話もしたが、友達はマスクをしていればどんなに人がひしめき合っていても伝染ることはないわよ、パリがスマホを盗まれる(彼女も何度か盗難に遭っている)街というのは諦めるしかないわよ、外に出かけると気持ちいいわよ、と続けていた。

 

 私のためを思って言ってくれているのは分かる。優しさから言ってくれているのも分かる。だが、何かを薦めるのを、あなたのためと言ってそう言われるのを今の私は望んでいない。

 

 その人にとって気持ちのいいものがすべての人にとって気持ちがいいとは限らない。私はこれは好きと言われるのはいいのだが、あなたにはこれがいいに違いないと押し付けられるのは今は望んでいない。それでなくとも、自由がないのだ。私と同じ場所に住んでいないので状況も分からない。

 

  部屋でアイルランドの歌手シネイド•オコーナーのCDユニバーサル•マザー(1994年)を聞いている。ちょっと、雰囲気が重たいのでしばしば聞くアルバムではないのだが、聴くと、とても美しいと思う。アルバムには日本語のライナーノーツがついていて、児童虐待へのNOを訴えるアルバムとある。


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【右側がユニバーサル•マザーのジャケット】

YouTube

https://youtu.be/28T7m_iP2oo

 

 その解説によると、1992年10月のアメリカのテレビ番組出演時、彼女はローマ法王の写真をテレビの前で破いて、批難を浴びた。その後のニューヨークでのコンサートで大ブーイングの中、彼女はボブ・マーリーの「War」を歌い、「child abuse(児童虐待)」と叫んだ。今から28年前の話だ。

 

 それを読んだ流れで、ウィキペディアのフランス語と日本語で、カトリック教会の性的虐待事件について読んだ。長い。こんなにあるのですね。

 

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%80%A7%E7%9A%84%E8%99%90%E5%BE%85%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

https://fr.m.wikipedia.org/wiki/Abus_sexuels_sur_mineurs_dans_l%27%C3%89glise_catholique

 

 

 それを読みながら、当時変人扱いされてきたシネイド•オコーナーは、正しかったのだと20年以上経って感じる。彼女は先駆者だったのだ。こういう発見があるのもライナーノーツという文化があってこそだ。

 

 (断捨離、断捨離、叫ばないでください。眠っている物の中に、宝が埋まっているかもしれない)

 

 友達は私が未だにCDを聴いているのを嘲笑った。さらに私は忙しくてゆっくり音楽を聴く時間なんかないわよ、とも言った。友達は400ユーロくらいするBluetoothもついた機器を私に見せた。いや私のコンポにもbluetoothもついているし、お風呂でも聴けるように小型のシンプルなwifiだけ聴けるスピーカも持ってる。それでもCDが好きなのはジャケットも含めて、映画の世界に入って行くように一つの世界を見ることができるからだと思う。好みは人それぞれだ。自由とは選択する自由があるってことなんだ。

 

 シネイド•オコーナーの歌は祈りのようだ。2018年に彼女はイスラム教徒に改宗した。53歳。今年5月のネットの記事によると、今年9月から介護士になるため学校に通うようだ。


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 彼女自身、子供のころ母親に虐待を受け、マグダレン修道院でも虐待を受けたという。若い頃は勉強しなかった、いや、できなかったのだ。「ホスピスで、緩和ケアをやりたい。私が働きたいのは理由があって家族がいない一人の人に寄り添うことなのよ」と彼女は語る。介護士になった彼女がホスピスで働きながら歌い、患者たちが涙を浮かべているシーンを想像して、涙が出そうになった。

 

https://youtu.be/5KuGUP-C9Ko

 

関連記事

https://nme-jp.com/news/89530/

http://www.tapthepop.net/live/11322

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その本を読むなら離婚だーと夫に言われた

 表現の自由を謳う国にいて、こんな目に遭うとは思わなかった。

 

 外出禁止令延長ー。外を出歩く自由もない中、せめて心の中は、自由でいよう。本でも読もうと意欲を持っただけだった。

 

 そんな私に今度は夫が「そんな本を読むなら離婚だ」と言い出した。私としては、教養のために読もうという程度の気持ちだった。中国が最初に感染者が多かったウイルスのせいで、「アジア人を襲え」、とSNSで呼びかけている今だからこそ、その心理を知るために一度読んでおこうと思った。

 

 日本では、2017年に学校の教材として使うことすら許された本である。日本では漫画版まで出ている。ドイツでは、出版禁止状態が70年間続いた後、2016年に再出版され、結構売れている。2015年の時点で世界で8000万部を売ったと言われる。

 

 世界一危険な本とも言われ、フランスでは今でも一般の書店に並ぶことはない扱いらしい。Fayardという出版社が1000ページの歴史学者の批判を添えて、2020年に再販するという記事を読んだが、論争は続いているのか、どうやらまだ再販されていないようだ。

 

 その本とは、アドルフ•ヒトラーの「我が闘争」。

 

 文化の違い、歴史観の違い、教育の違い、改めて感じることになった。

 

 最近、シェイクスピアのことを考えていた。小学生のころ、父が買い与えたシェイクスピアの「リア王」が私の愛読書だった。本をたくさん持っていなかったので何度も何度も読んだ。

 

 私は日本の公立小学校に通っていて、学校には図書室があり、授業で読書の時間があった。教師がやってきて、教師が私が読んでいる本のタイトルをみんなに言った。シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」。一堂がどっと笑った。クラスのみんなに馬鹿にされた。

 

 考えてみれば、その日以来私は一行もシェイクスピアを読んだことがない。あんなに「リア王」が愛読書だったのに、粗筋は今でも言えるのに、父の贈り物だったその本すらも本棚の奥に仕舞い込んだ。あれから何年経ったというのだろう。ちなみに、その嘲笑われたタイトルを今日、ここに書くことすら恥ずかしい自分がいる。

 

 学校がすべてだった。クラスの人の価値観がすべてだった。教師やクラスの皆に嘲笑われるような本は読むべきではないのだと思った。そして、その後、シェイクスピアのことを考えずに生きることができた。そういう縁とタイミングだったのだ。今でも読みたいとは思えない。小学生だったときの情熱に戻ることができない。シェイクスピアを読まなくても、世界には一生かかっても読めないくらいいろんな本が溢れている。

 

 今回はどうしよう。特に離婚してまで読みたいというほどではないが、あの頃と違って価値観を押し付けられるにはいろいろ知りすぎている。夫の気持ちが傷つくのなら、読まないことが優しさなのか? フランスでなかなか書物として出回らない本「我が闘争」は、インターネットでならクリック一つで簡単に読める時代なのだ。自由ってなんだろう。

仏首相、外出制限を延長へ クリスマス商戦が心配

 フランスのカステックス首相は12日の記者会見で、新型コロナウイルスの第2波が収束する見通しが立たないとして、12月1日までとしていた外出禁止期間を延長する考えを示した。

 ガーン。落ち込みます。


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【パリのデパート。今は閉まっています】

 

 首相の会見によると「12月1日から現在閉鎖中の商店を、感染防止措置を強化した上で開けるが、レストラン、バー、スポーツ施設は閉鎖されたままになる。12月1日以降に緩和措置が取られた場合も、移動の際の証明書は必要であり続ける。
 その後、クリスマス休暇を家族で過ごせるよう、緩和された場合でも、通常とは異なり、大人数のパーティー等を実施することは適切ではない....。」

 

 10月30日から1カ月間の予定で始まったロックダウン。市民の外出禁止と、生活に必須でないとみなした店舗の営業禁止を命じていた。開始から二週間後に見直すということで、そろそろ商店開けてくれないかな、と夢見ていた私が甘かった。
 

 クリスマスもどうなるか、分からなくなって来た。今閉めている店をクリスマス商戦の12月だけ開けた場合、いつもの12月以上の混雑が予想され、そこで感染拡大するのでは?という疑問。ネットで買って配達してもらう人、増えるであろう。

 

 心配なのは、クリスマス商戦で年間の売り上げの大半を賄って来たであろう商店の経営だ。それでなくとも老舗百貨店プランタンを運営するグループは10日、国内19店舗のうちプランタン4店と、若者向け店舗シタディウム3店の計7店を閉鎖する計画を発表している。

 

 フランスでは連日3万~5万人が新たにコロナ感染している。カステックス首相によると、国内で亡くなる人の死因は「4人に1人が新型コロナによるものだ」という。

今週のお題「最近見た映画」 UZAK「冬の街」(2002年、トルコ映画)イスタンブールの孤独

今週のお題「最近見た映画」

 

 2002年トルコ映画ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督作品。タイトルのUZAKは、トルコ語で「遠く離れている」という意味。2003年のカンヌ映画祭グランプリ受賞作品だが、日本では公開されていないと思う。トルコ語フランス語字幕で鑑賞。


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 無職の青年、ユースフは仕事を探す間、いとこで裕福なカメラマンであるマームートの家に居候する。男二人のアパート暮らし。マームートはユースフの靴の匂いが気になりスプレーをするような潔癖症だ。ユースフは仕事が見つからず、マームートのフラストレーションが高まっていく...

 

 ドラマチックなことは起こらず、現実にありそうな話。ゆっくりと丁寧に登場人物の心理と港町の風景が描かれている。舞台はトルコのイスタンブール。ロックダウン中なので少し旅行気分が味わえた。ゆっくりとカメラが捉える雪の港の映像は侘しいながらも、息を飲むほど美しい。特に難破船のシーンが印象に残った。

 前半は、会話がほとんどなくて、じっくり映像に浸れた。AVを見ていたらユースフが現れてマームートが慌ててテレビを消すシーンがある。こうしたユーモアもあるが、緊張感溢れる会話もあり、サスペンスのようにすら感じることもあった。

 

 マームートが一人でテレビを見ているシーンが繰り返し出てくる。それが二人が二人の田舎に車で訪れたときの風景の美しさ、雄大さと対比され、豊かさとは何か、という文明批評のようにすら感じられた。

 

 マームートはユースフを見下すような言葉を吐く。自分の落ち度を素直に謝ることもできない。離婚した元妻に未練があって空港まで追いかけていくのに素直に何か伝えることもできない。マームートの孤独と不器用さが寂寥とした雪の港町の中で際立つ。どこかコミカルにも感じられた。