パリ徒然草

パリでの暮らし、日本のニュース、時々旅行、アート好き

新しくも素晴らしいビザンチンのフレスコ画 サナリー•シュル・メールの教会


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 信仰は持っていないが、訪れた町の教会にふらりと入ってみることがある。そして、その美しさにはっとすることがある。


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 フランスに住むようになって、カトリック教会施設は身近なものになった。信仰を持っているわけでもないのに、初めて町を訪れたとき、教会や礼拝堂、大聖堂を訪れるのだった。例えば、暑い夏、涼を求めてしばし、教会で一休みすることもある。


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 マチスのロザリオ礼拝堂(ヴァンス)、ヴィルフランシュ・シュル・メールやミリー•ラ・フォレのジャン・コクトーの礼拝堂など印象に残っている。

 


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  でも、そうした有名なアーチスト縁の礼拝堂でなくとも、パリ近郊だと、マルリー•ル•ロワ、サン・クルー、ヴェトイユ、オーヴェル・シュル・オワーズに行ったとき、訪れた町でふらりと教会を見学した。


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 必ずしも、大規模な大聖堂が印象に残るわけではない。むしろ、小さな礼拝堂や教会の美しさにハッとすることがある。こんな小さな村にも信仰が根付いているのだな、と深く感じ入ることがある。例えば、ヴェトイユの教会で。私は祈りを捧げたい気分になった。

 

ヴェトイユの教会の写真を載せたブログ

http://franceartsanpo.blog.fc2.com/blog-entry-15.html?sp

 


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 その時間を持てるのは、その日、その時間、その日の天候も関係した、偶然によるものである。なぜなら、次にヴェトイユに行ったときは、教会内部に入っても、工事中で騒音が鳴り響き、全く違う雰囲気で、同じ気持ちにはなれなかった。

 


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 南仏の港町サナリー•シュル・メールでも、港のそばの教会に入ってみた。予備知識なく。

 

 可愛らしい教会だった。

 


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 教会前の説明板や下のブログ記事を要約すると、この教会は、サン•ナゼール教会、16世紀の教会を19世紀後半に建て替えたものである。10年の改装工事の末、2009年1月に新しいオルガンとフレスコ画で装飾された教会の落成式があった。フレスコ画はl’atelier Saint Jean Damascène(サン•ジャン•ダマシン工房)のJean-Baptiste Garrigou (ジャン=バティスト・ガリグ)によるビザンチン美術様式である。


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【上の9枚の写真はすべてサン•ナゼール教会内部で撮影】 

 

参照ブログ(フランス語)

https://gebete29.wordpress.com/2012/07/22/eglise-saint-nazaire-de-sanary-sur-mer/


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【サン•ナゼール教会の外観】

 

 

猛暑、冷やしそうめん、ソルベで涼を取ろう

 猛暑がやってきた。

 6月18日土曜日のパリは暑かった。

 午後5時頃から38度、39度と予報されていたが、結局、37度くらいだったのかなあ。正確な気温は分からない。

 とにかく暑い。コンクリートに囲まれた道を歩くだけで、太陽がカッと照りつけ、ムッとする蒸し風呂のような暑さ。午後6時ごろに買い物に行ったので、買い物行くだけで汗びっしょり。

 

 夏といえば、冷やしそうめんでしょ。

 

 冷やしそうめんを作ろうと思って、You Tubeのこのレシピを見た。

https://youtu.be/UdPq8kfqRtI

 

 ほお、私がこれまでやってきたやり方と違う。そうめんを沸騰したお湯に入れた後、すぐコンロの火を止めて蓋をして5分待つというのである。

 

 パリに居ながらにして、日本の新しいそうめんの茹で方を知るなんてYou Tubeのおかげ。

 早速、試してみた。確かにそうめん同士がくっつかない。ただ、使った麺の種類のせいか、うちのコンロのせいか、普段よりも柔らかすぎる、コシのない麺になってしまった。残念。次はもう少し時間を短くしてみよう。

 

 野菜やハム、卵などを添えていただきました。


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 そして、メロンとアイスを食べる。ここ一週間メロンはほぼ毎日食べている。アイスは冷凍食品専門店ピカール(picard)で買ったマンゴーのソルベ(1リットル、約3ユーロ)とレモンのソルベ(350㍉リットル、約2ユーロ)。お値段の割には美味しい。暑いのでさらに美味しく感じる。満足。


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トランティニャンさん追悼 主演映画「離愁」を見たばかりだったのに...

 ダーバダ ダバダ ダバダ ダバダ ダ バ ダ ダバダ ダバダ ダバダーの曲を言えば分かる人も多いのではないだろうか。あの有名な主題歌のフランス映画「男と女」に出演していたフランスの名優、ジャン•ルイ・トランティニャンさんが17日、フランスの自宅で死去したと複数のメディアが伝えている。91歳。
 1930年12月、フランス南部アビニョン近郊生まれ。クロード・ルルーシュ監督の「男と女」(66年)で一躍注目を集める。69年、コスタ・ガブラス監督の「Z」でカンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞した。第65回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞のミヒャエル・ハネケ監督・脚本による「愛、アムール」(2012年)にも出演した。

 

 さて私は、1973年のフランス・イタリア合作映画「離愁(Le train)」(ピエール・グラニエ=ドフェール監督)を数日前にDVDで見たばかりだった。この映画の主演もトランティニャンさんである。

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 第二次世界大戦のフランス。戦火を逃れ故郷を後にし疎開する人々。たくさんの人々を乗せて蒸気機関車がフランスの大地を走っていく。身重の妻と娘を客車に乗せ、自身は貨車に乗った地味なラジオ修理工、ジュリアン(トランティニャン)。そこでドイツ生まれの美しいユダヤ人女性アンナ(ロミー・シュナイダー)と出会う。

 フランスの暮らしや自然の長閑さと戦争の酷たらしさが対比的に描かれる。

 ラストシーンのストップ・モーションが映画史に残る名場面として名高い。

 付録のピエール・グラニエ=ドフェール監督のインタビューによると、実際にこのような疎開列車が第二次世界大戦中走ったとのこと、蒸気機関車を使った撮影もその頃ならではだろうし、ドキュメンタリー的な要素も感じた。俳優たちも名優揃いで印象に残る映画だった。何よりもロミー・シュナイダーさんとジャン•ルイ・トランティニャンさんの演技素晴らしかった。

 

 ご冥福をお祈りします。

ジャン•ルイ・トランティニャンさんの出演作品の映像が見れるyoutube動画(フランス語)

https://youtu.be/KWZCCjPu2Ko

https://youtu.be/wASYQYCg8CY

  

 さて、女優ロミー・シュナイダーさんについては、没後40周年を記念して、パリのシネマテークロミー・シュナイダー展が開かれている。映画で使った衣装なども展示されている。7月31日まで。

https://www.cinematheque.fr/cycle/romy-schneider-628.html

 日本の文化村でも、8月に没後40年ロミー・シュナイダー映画祭が開かれる。

http://romyfilmfes.jp/

 

 

夏日

 6月16日。暑いです。


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 道行く人も、露出の多い夏服のパリ。


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 お家でキリッと冷やしたピンクのシードルをいただきました。この写真のメーカーのシードルなかなか美味しかったです。暑くなると炭酸が美味しく感じます。


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 いちご、フランボワーズ、チェリー。赤いフルーツもたくさんいただきました。
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 暑くなってくると、ケーキなどのお菓子よりもこうしたフルーツが美味しく感じられます。


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サナリー•シュル・メールの塔に登った

 南仏プロヴァンスの港町サナリー•シュル・メール。その港町に塔があって登った。高さは21メートル。幅8メートル。

 この塔は13世紀後半に海洋からの攻撃に対する軍事的目的で建設された。16世紀からは監獄や、小麦や武器などの倉庫として、使用されてきた。

 現在は博物館兼屋上からサナリー•シュル・メールの港町を一望できる歴史的建造物になっている。

 

 塔の小さな木の扉を開けると、監視員がいて、螺旋階段があった。入場無料。


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 壁にある四角い穴は鳩のためだったと思う。鳩小屋でもあったのだ。
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 塔の上からは360度のパノラマが楽しめる。


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私が塔の上で撮影したビデオはこちらhttps://youtu.be/Tr4Go34sOR0

 

 塔の入口付近には、塔の歴史の説明も。
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 今では塔は他の建物の合間にあるので、塔だけ撮影するのが難しい。


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 フランスのTV局によるこの塔のYou Tubeや記事(フランス語)

https://youtu.be/zIzeQ2D2qMg

 

https://france3-regions.francetvinfo.fr/provence-alpes-cote-d-azur/var/a-decouvrir-dans-le-var-la-tour-romane-de-sanary-sur-mer-2443632.html

 

昼下りの優雅なティータイム オペラ座隣りのル・グランホテルにて


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 昼下り、優雅にラウンジで紅茶をいただきました。


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 真っ青な空の午後でした。

 

 ガラス貼りの屋根の向こうに青空と建物の一部が見えます。

 

 ここは、パリ、オペラ座そばのホテル「インターコンチネンタル ル•グラン」の大広間。宿泊客でなくても喫茶が楽しめるサロンになっています。


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 ブラック・ティーにしましたが、こちらの紅茶美味しいです。ついてきた小さなチョコレートも、このホテルのオリジナルの商品のようで本格的なカカオの味がしました。ミルクも濃くて凄く美味しかったです。何よりすべての調度品が美しいですね。ミルクの入ったポットまでも。


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 ついつい他のお客さまに目が行きます。もちろん宿泊者や旅行者が多いのでしょう。英語圏の人、アラブ系…さまざまな人種の方がいます。さまざまな言語が飛び交います。

 

 私がちょうど目が行く距離に、スーツを来て、小型のヘッドホンを付け、パソコンの前で語り続ける男性がいました。仕事のためにこのサロンを利用しているのでしょうか。スパイもいそうだなあ。って、言うか、私がスパイと間違われてしまうかも。ははは。



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 上の写真はお手洗いにて。お手洗いもお洒落です。

 

 パリ市の歴史的建造物の説明板がホテルの前に設置されています。


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 建設は1861年4月に始まり、ホテルは1862年5月5日にナポレオン3世の妻であるウジュニー皇后本人が出席し開館し、1862年6月30日に正式に開業しました。ホテルは皇帝ナポレオン3世のもと、パリ万国博覧会 (1867年)に世界各地から招待された賓客をもてなしました。隣りのオペラガルニエ宮が完成したのは、それより後、1875年でした。

 

ホテルの公式サイト

https://legrandparis.jp/hotel_information/history.html

ソフィ・カルの「オルセーの幽霊たち」展

 オルセー美術館で、ソフィ・カルSOPHIE CALLE の展覧会『 オルセーの幽霊たちLes fantômes d’Orsay 』展が開かれている。




 私がソフィ・カルを知ったのは、小説の中でだった。アメリカ中の自由の女神像を爆破する男と小説家の関係を描く1992年のポール•オースターの小説『リヴァイアサン』。





 フランス人の友人がオースターの本を読んでいたのがきっかけで、読んだのだが、私には、小説の中で、探偵を雇って自分を尾行させ作品を制作する女性の芸術家マリア•ターナーの存在が心に残った。生き生きと感じられた。









 その後書きで、この女性芸術家のモデルは実在のフランスのアーチスト、ソフィ・カルだと知った。






 さて、展覧会について紹介しよう。オルセー美術館はかつて駅舎と併設のホテル「Hotel de la Gare(オテル・ドゥ・ラ・ガール)」だった。






 1978年、オルセー駅とホテルは荒廃していた。オルセー美術館へと生まれ変わる工事はまだ、始まっていなかった。ソフィ・カルがたまたま小さなそのホテルの木の扉を見つけ、押してみたところ、扉は開いた。その時から1979年にかけて彼女は無人のホテルで、ときどき過ごすことになる。




 5階建ての250室あるホテルは廃墟と化していた。ソフィ・カルは特に501号室を選び、写真を撮影し、友人を招き、ホテルに残されていた請求書や宿泊者カードなどの書類、部屋番号のプレートや鍵などのオブジェを集めた。





 この展覧会では、当時のホテルの壁紙を貼って、モノクロ写真とともに、オブジェ、書類などを美術品のように展示している。と、同時に、考古学者、ジャン=ポール・ドゥムル(Jean-Paul Demoule )によるオブジェや書類への解説文も添えられている。





 ホテルは確かにここに存在した。見学者はソフィ・カルと一緒に、消えてしまったホテルに舞い戻る。と、同時に見学者は、未来人になって、これらオブジェや書類を考古学的に見るのだ。過去と未来を同時にタイムスリップする。





 ODDO(オッド)という修理などを担当する、なんでも屋らしい人物に向けたメッセージを集めたメモも展示されている。だが、調べたところ、ODDOは従業員名簿に載っていない。ODDOは幽霊だろうか? 展覧会のタイトルは「オルセーの幽霊たちLES FANTÔMES D'ORSAY」だ。












 さらに次の部屋には、ソフィ・カルが代表的なオルセー美術館の9つの印象派絵画を暗がりで撮影した写真が展示されている。新型コロナの影響で外出制限中に閉館中の美術館を訪問する機会があったソフィ・カル。その時この企画を思いついて撮影したのだ。そこには9つの作品のタイトルを盛り込んだソフィ・カルによるフレーズも。





 私はたまたまナイト・ミュージアムの夜に見学した。




【以上15枚の写真は、すべて展覧会で撮影】


 この展覧会を見た後、私はいつのまにか、この美術館のレストランの中で、あるいは展示室の暮れてゆく窓の外に幽霊を探していた。すっかりソフィ・カルの企みにハマってしまっていた。


 私が誰もいない美術館のレストランをつい撮影したのは、幽霊のいたずらによるものだったかもしれない。



オルセー美術館のレストラン】

 展覧会は6月19日まで。

 


parisienの記事(フランス語)
https://www.leparisien.fr/paris-75/paris-une-exposition-ressuscite-le-grand-hotel-dorsay-29-03-2022-XFBCJA632VGCFEH53U6LR23HXE.php

マダム フィガロ
https://madamefigaro.jp/paris/220414-sophie-calle.html

オルセー美術館のサイト(フランス語) 
https://www.musee-orsay.fr/fr/expositions/sophie-calle-et-son-invite-jean-paul-demoule-201182
 
ソフィ・カルへのインタビュー(美術手帖
https://bijutsutecho.com/magazine/interview/19253

ソフィ・カル(ウィキペディア) https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AB

オルセー美術館という作品 ブログ
https://clairefr.hatenadiary.com/entry/2022/05/15/172038