パリ徒然草

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ヴァラスの給水泉 素朴、善意、質素、慈愛

 マスクをしているからこそ、 ホームレスや物乞いに、道で声をかけられたら、できるだけ答えるようになった。無視されるのが誰だって一番不快なのだ。

 でも、答えないこともある。昨日また、私が通り過ぎるとき、ベンチに座っていた男性に「誰が持ち込んだんだ!」と言われた。これで似たようなことがコンフィヌモンが始まって、3回目である。コンフィヌモンの前はそういうことは一度もなかった。

 私はここでは自分が中国人であるという役割を引き受けようと思い始めた。少なくとも、私はアジア人である。私と中国人には漢字という共通項もある。それを言うことで、それを言った人がが少しでも気が晴れたなら、それでいいじゃないか。3回とも、そういう挑発には、ただ乗らないようにしている。

 それに、私は、それを言った相手には怒っていない。でも、それを言わせる報道をしているメディアには怒っているけれど。

 街を歩いたら、相変わらず、ホームレスはたくさんいた。昨日は、ベッドや寝具をホームレスに配っていた。今日もまた、銀行の前のホームレスにお弁当を自転車に乗った若者が配っていた。

 一ヶ月前に、比べると、清掃員を見かけるようになった。以前よりは清掃している。レストランの前に散らばっているゴミや寝具をパリ市の清掃員が片付けていた。後から、この場所に戻ってきたホームレスはがっかりするのかもしれない。

 ひっそりと「ヴァラスの給水泉」が変わらずそこにある。イギリス人リチャード・ウォーレス(フランス読みでリシャール・ヴァラス / Richard Wallace)が1872年にパリ市に寄贈した公共水飲み場だ。100以上がパリ市にあり、今でも、貴重な水源になっている。公園や図書館が閉まっているので、今はホームレスにとってますます貴重だ。

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 19世紀後半、パリの水道事情はとても悪いものだった。上水道も完備されておらず、パリ市民は水売りが路上で売る水を買い、洗濯や炊事をしていた。水売りは有料の浄化された給水泉から水を買う規則になっていたが、セーヌ河の水を売る悪質な業者も多く、疫病が流行する原因でもあった。この水飲み場は、普仏戦争敗北後の水不足を救い、また無料で水が飲めることで、飲料水の高騰から安いワインばかりを飲んでアル中になる人を未然に助けた、と言われている。
 
 ロンドンの美術館Wallace Collectionで、宮廷画家フラゴナールの「ぶらんこ」という絵画を見たことを思い出した。ヴァラスの給水泉の篤志家は、美術コレクターでもあった。この給水泉のデザインも、彼自身が、デザインしたもので、素朴、善意、質素、慈愛の女神をあらわしている。