パリ徒然草

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手を洗うだけで世界とつながっている。外出制限令最後の日に 

 今日で、8週間(正確に言うと55日間)のコンフィヌモン(外出制限令)が終わる。明日から外出許可証の携帯なしに100キロメートルまでは行けるようになる。

 明日から開いている商業施設は増えるし、ブローニュの森ヴァンセンヌの森などは散策できるようだ。

 一方で、多くのホテルに板が打ち付けられれ閉まったままで、道路も相変わらずゴミが散らばっている。パリ市内の公園や多くのデパート、大きな美術館などは明日からも閉まったままのようだ。

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(ホテルは閉まったまま)

 3月16日の外出制限施行日は、ショックだった。新型コロナウイルスの恐ろしさ以上に、国家権力によって自由が制限されることが怖かった。カフカの「審判」という小説を思い出した。

 だが、今日振り返ってみると、この2ヶ月間決して私にとって悪い時間ではなかった。たとえ昨日書いた大学の研究結果のように、コロナウイルス感染者減にこの外出制限は大した効果がないことだったとしても、私にとってはいい時間だった。

 たくさんの友達や家族と、電話やネットで話した。実際に会うことはできなくなってもお互いを思いやった。世界中の人が同じ新型コロナウイルスと闘っている。触れ合うことはなくても、ときに画面を通した映像で、ときに声で、ときに言葉や絵文字で、お互いを思いやった。中には、ずっと連絡を取ってなかった人もいた。 

 朝昼晩、しっかりご飯を食べた。朝はパン屋で買ったバゲットとコーヒーだが、昼夜は自炊だ。簡単な料理ばかりだが、カレー、クスクス、すき焼き、焼きそば、リゾット、チャーハン、麻婆豆腐、鯖の味噌煮、牛肉の赤ワイン煮込み...etc。美味しく食べた。お菓子もときどき作った。昨日も洋梨のタルトを作った。いろんな野菜を蒸すだけの料理も美味しい。フランスは農業国で、野菜の値段はこの2ヶ月の間に少し上がったが、豊かな供給がある。特に、バター、チーズ、ヨーグルトの味は素晴らしい。改めてこの国の農業に感謝した。

 パリ市内にいることによって食材やお菓子の豊富さには事欠かなかった。イタリアの生ハムやミルフィーユなど、生活を彩る食べ物が買えた。

 そして、基本的に良く眠れた。新型コロナウイルス対策で、体を温めるのが大事と聞いたのもあって、お風呂にも良くつかった。日本から送っていただいていた入浴剤がありがたかった。フランスで買えるアロマオイルを数滴入れるのもいい。

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(入浴剤)

 その他、緑茶と海藻もいいと聞いたので、気休めだが、良く飲んだり食べている。抹茶をゆっくり立てて飲み、好きな紅茶を淹れて飲んだ。時には氷を入れたグラスに紅茶の茶葉を置き、熱いお湯を注いで、アイスティーにして、バニラアイスクリームを入れてみたりもしした。

 自分を改めて知る時間になった。私には自然との触れ合いが必要だと心から思った。鉢植えを2つ買った。パリはとても静かで、鳥のさえずりが聞こえる。しばしば、外に出て、ただ樹々を眺めた。

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 何より、小さなことに感謝できるようになった。道を掃除する人、配達員、スーパーのレジの人。ホームレスに食糧を配っている人。そういう小さなことに気付ける機会だった。そして新型コロナウイルスの最前線で働く世界中の医療従事者に心から拍手と声援を送った。世界中でロックダウンしていた。今、新型コロナウイルスの前に世界中の人の思いは同じなんだ。世界はつながっていると思えるようになった。

 世界で起こっていることを知ろうと努めた。既存のメディアに加えて、人々の声に耳を傾けた。昨日Facebookでたまたま見かけた書き込み。ベルギーから日本に帰国した医師が「私は日本はPCR検査をむやみやたらにすべきではないという意見なのにテレビ局に反対の主張をしているようにインタビューを使われた」と書き込んでいた。いいね件数が2.8万人。

 新型コロナウイルス対策は答えが一つしかないものではない。だから、いろんな見方があるものだ。ネットはいろんな考え方に触れるいい機会になっていると思う。そして、フランスにいる私でも、日本であった記者会見が少しの時間差でYou Tubeで見れる時代になっている。

 そういえば、チュニジア発のアラブの春も、インターネットがあればこそ、だった。

 どんなに自由を制限されても、私たちには、心の中の自由というものがある。心の中の宇宙は、1人ひとりのものだ。

 手を洗うだけで誰かを助けてる、素敵な考えだと思ったので、朝日新聞に掲載されていた生命誌研究者の中村桂子さんの言葉を載せておきたい。

『手を洗えば、自分を守るだけでなく、身近な人を守ることになり、それを全員が行えれば、社会全体を守ることにつながります。普段、自分の行為が社会とつながっていると実感できることは、めったにありません。社会には格差や貧困といった問題がありますが、私などは、自分一人の力は小さく、何もできないと無力感にさいなまれることが多々あります。手洗いをすることで「私は世界を守るための大事な力を持っている」ということにひとり1人が気づき、実感できることは、コロナ禍での大切な学びだと思います。』

 手を洗うときも、コロナが怖いとかそういう気持ちではなくて、これで世界とつながるんだという気持ちで手を洗う。手を洗う時間が増えた今、素敵な考え方だな、と思っている。

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(私の石けんコレクション。フランスではマルセイユ石けんが有名)

 数年経ったとき、私はコンフィヌモン(外出制限)の時間を懐かしく思い出すかもしれない。それとも、既に明日、人混みの増えた街で、コンフィヌモン(外出制限)中の人気のなかったパリの街と比較してあの静寂に戻りたいと思っているかもしれない。

【関連動画】
テレビがPCR検査を叫ぶ3つの理由。
https://youtu.be/SGAF02gWDJU

そもそもコロナウイルスは存在するのか?
https://youtu.be/ZmKG_S_n9b4


https://www.lemonde.fr/m-perso/article/2020/04/29/cynthia-fleury-nous-sommes-entres-dans-une-ere-de-bien-sur-veillance_6038163_4497916.html