パリ徒然草

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マレ地区に行って分かった「前回来た時は、悲しかったのだ」、私は警察を憎んでない

 マレ地区のボージュ広場に行った。公園が開いていた。最後に5月半ば、約一ヶ月前に来た時は、公園は閉まって閑散としていたので、変わったなあと感慨深く感じた。

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 やっと日常が戻って来たんだな、と思った。パリはやっと6月15日からレストランの室内が使えるようになり、公園も開いていて今やっとデコンフィヌモン(外出制限解除)のような気がした。

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 そして、一ヶ月前に、ここに来た時は、悲しかったのだ、と気づいた。広々と道を歩けても、公園も開いてなくて賑わいがないのは悲しかった。

 5月15日にこのブログにボージュ広場周辺の写真を載せた。行ったのは5月13日。だが、日記に悲しかったの一言も書いてない。

 あの日。フランス政府はデコンフィヌモンって言っているし、行ける範囲が1キロメートルが100キロメートルに拡大したのだから、贅沢言っちゃいけない、と思っていた。あの日。公園が閉まっているボージュ広場周辺は人はいないし石造りの監獄のようだった。

 公園の柵に取り囲まれた植物やそこを訪れた鳥たちは全然悲しそうじゃなかった。悲しかったのは、そこに、近づけない私。閉じこめられているのは、公園の植物たちではなく、そこに入れない私の方だった。

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【コンフィヌモン中はゴミが舞ってて悲しかった場所。カフェが営業してこそ、街もきれいになる。】

 悲しかったのに、悲しいと思うことすら、自分に、許してないって、日本人的だなあ、と思う。

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【知り合いにマレ地区はカフェやレストランのテラスで歩きにくくなったと聞いていたのだが、私はマレ地区、いい感じだなと思いました】

 それに比べて、こっちの人たちは、自分の気持ちに正直と言おうか。怒っているなら、怒りをぶつけている。連日のデモのニュースが日本にも届いていることだろう。一昨日は医療従事者のデモに関連して警察とデモ参加者の衝突が起こっている。

https://www.afpbb.com/articles/-/3288738
 
 平和的にデモしようとする人たちに、紛れ混んだ暴力的な集団。『黒い服に身を包んだ集団が車両に火を放ち、警察に向かって物を投げつけながら「誰もが警察を憎んでいる」と連呼し始めた。』とAFPの記事の中にある。


 黄色いベスト運動のときもそうだったけど、こういう集団が紛れ混んで暴力を振るうので周辺のお店は経営が悪くなる。壊されないように板を打ち付けて閉じてしまう店も多い。こういうことが、多発すると、界隈のお店は本当に可愛そう。

 こうしたお店で働いている人が裕福な人たちばかりというわけでもない。もちろん有色人種も働いている。そして、店を開けるなら、開けたで、バスも走ってないし、地下鉄の駅もデモのある地域周辺は閉まってしまうので、通勤するのが大変だ。

 それでも、怒りを表明するっていうのも、生きているってことなのかもしれない、とも思う。私の中にも、コンフィヌモン(外出制限)期間中、警察に取り締まられることに対する恐れはあった。路上で見知らぬ人に「中国人が持ち込んだ」と言葉による攻撃を受けたりもした。

 自由でなくなる怒りとストレス。貧乏人ほど狭い家に閉じこめられていた。発散するようなスポーツイベントもない。友人の中には、コンフィヌモン(外出制限令)中も、仕事ってことにして週に一度程度自由に出かけていて、全然余裕だったよ、と言った人もいる。「警察の取り締まりには、就業先のカードを見せただけでOKだった」と言った。フランスで生まれたフランス国籍者だしね。私は嘘が下手だし、外国人だから、そういうこと、上手にできないなあ。

 一方で、警察で働いている知り合いは、コンフィヌモンを批判してた。5人集まったメンバーの中で、1番、コンフィヌモンという政策の批判をしていた。郊外の庭付き家に住んでいる人なんだけど。もちろん政府の政策に従ってきちんと働いている、けどね。

 デモに現れるの暴力集団のことをcasseurとフランス語で言う。wikipediaで調べてみると、この言葉はvandalismという言葉と同義語とある。

https://fr.m.wikipedia.org/wiki/Casseur_(urbain)

 1789年のフランス革命以降、恐怖政治の時代に、自由思想を信奉し宗教を批判する市民により、大聖堂等の破壊活動、略奪が繰り返されていた。「ヴァンダリズム」(vandalism,文化財などの破壊行為の意味)という言葉は、1794年に、ブロワの司祭アンリ・グレゴワールが初めて使ったものだ。多数の宗教芸術や建築物が破壊される中、ヴァンダル族の野蛮な破壊になぞらえて「ヴァンダリズム」と呼び、芸術や建築の保護を訴えたことから生まれた言葉だという。文化財保護という考えも、破壊する人たちとの闘いから生まれたものなんだなあ。

 私は警察を憎んでない。

 家の回りの路上で、話をしながら動かずに昼間集っていた、たくさんの男たちが消えていた。そして警察が取り締まっているのを見た。

 取り締まる側も、怖いこともあるだろうなあと、想像する。普通に歩けるようになりました。助かります。ありがとうございます。

 いなくなったらいなくなったで、あの人たちは、どこに、行ったのだろうとも思う。なぜ、あそこにずっといて、なぜ、それは男性ばかりだったのだろうか。他にも居場所がありますように。