5区のイタリアレストランに行った。この辺りのレストランはとても元気だ。道に溢れたテラス席にたくさんの人がいる。私たちが行った店も土曜の夜、テラス席は満席だった。
サービスの方たちが「プレーゴ(どうぞ)」と、イタリア語で話す。私も「グラッチェ(ありがとう)」と、イタリア語で答えた。旅行気分が味わえた。
今年、行く予定だった、イタリアのカプリ島を思った。新型コロナウィルスのせいで行けなくなった3月の旅行。チンクエテッレ、ベニス、シチリア島ーなど行くことのできたイタリア旅行の数々、そのとき、食べた食事も思い出した。
レストランもブティックもデパートも、劇場に良く似ている。私たちは、物だけを買っているのではない。食べ物だけを食べに来ていない。そこにある空間、装飾、登場する販売員や給仕係や音楽、そこにある空気、雰囲気、すべてを味わいに来ているのだ。
ネットショッピングというものを考える。以前も、書いたが、20年ほど前、私はネットショッピングの出品者だったし、最近も、日本の家族にネットで選んでプレゼントを送った。和歌山の農家のフルーツゼリーを選んだ。私は見たことも食べたこともない品だが、こうして選べるのは便利だ。とても便利なシステムだ。
フランスの郵便局からも郵便物を送ったが、現在、日本からパリまでの航空便は1ヶ月以上の日数がかかっている。そういう状況だから、ネットショッピングはありがたいと思う。
ただ、もし、近くのお店に行って目で見て選んで買えるのに、それをしないのだとしたら、人生の大事な部分を楽しんでいないと思う。パリのデパートが与えてくれるような劇場的な楽しみは味わえない。店に入ることは、五感で情報を受け取ることでもある。
旅行で印象的だった記憶の中には、名前も知らない人とのやり取りがある。例えば、パリのホテルでシャンパンを冷やしてもらっていたら、ホテルのボウイさんが躍りながらシャンパンを渡してくれたり。日本じゃこういうボウイさんいないだろうな。文化の違いに出合う機会でもある。
高給ブティックでの販売員のウイットに富んだ会話が印象に残ったり。店員さんに、あなたの着けている香水いいですね、教えてください、と尋ねて教えてもらったり。
事務的で無味乾燥なネットショッピングとは違うのだ。
そして、いくつもの店が閉まって貸店舗の貼り紙を貼っているのを見て観光地としてのパリの魅力が減る危険性を憂慮してもいる。