パリ徒然草

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ペール・ラシェーズ墓地火葬場でお葬式

 義叔母が亡くなった。義母の妹だ。とても優しい人だった。少し話すだけで思いやりのある人だと感じることができる人だった。

 

 ペール•ラシェーズ墓地の火葬場に午前9時半に行った。私は黒づくめの服に黒のバック、黒の靴だった。夫の家族や義叔母の家族がいた。日本と違って、皆、黒い服ではなかったし、ジーンズの人も多かった。

 

 時間になると、小さな部屋に通された。20人弱の人がいた。ご遺体の棺があって、花が飾られていた。そこに遺影を飾った。宗教色は全くないお葬式(Cérémonie d'hommage) で義叔母の息子さん二人、お孫さんなどが一人ひとり弔事を読んだ。参列しない人も含めて全部で6人の弔事が読まれた。(今年3月頃パリでは新型コロナウイルスの影響で、こうした葬儀の集まりすら禁止だった)

 

 編集者で、定年まで働いたフェミニストだった。文学を語り合った思い出がたくさん語られた。ヴィクトルユーゴー、フィツジェラルド、フローベル…文学の巨匠たちの名前がたくさん出てきた。政治への興味を絶やさない人でもあり、お孫さんが最近では黄色いベスト運動について議論した、と語っていた。最後には義叔母自身が20年前に書いた詩が朗読された。

 

 

 義叔母はパリに一人暮らしで3月からのコンフィヌモン(外出制限令)期間も一人で過ごした。新型コロナウイルスの影響で家族にも会ってはいけないという政府の措置は精神的に辛かっただろう。1ヶ月半前には義母と姉妹二人きりでリヨン駅からヴァンセンヌの森まで散歩したりもしたが、その頃から不調を訴え始めた。癌を患っていて3週間前に入院した。あっという間だった。

 

 一度、一人暮らしのアパートに招いてくださった。センスのいい部屋で美味しいおつまみをたくさん用意してくださった。絵画も好きで、話も弾んだ。もっと話したかった。

 

 12月に会ったのが最後になってしまった。義叔母の体調が悪いと聞いて、パリの病院に入院していると聞いて、会いに行こうかと思ったのだが、新型コロナウイルスの感染の危険が見舞いに行くのを控えさせた。

 

 新型コロナウイルスの影響で高齢者が孤独になったことが気持ちを萎えさせ、気力の面で精神面で悪い影響を与え、結局、死を早めていないだろうか、ふと考えた。

 


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【パッシイ墓地の画家エドワード・マネのお墓】


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【写真はすべて2日前のパッシイ墓地】

 今日、ペール•ラシェーズ墓地では写真を撮ることができなかった。