夕方少し歩きました。
コロコロと変わる政府の新型コロナウイルスへの制限への対応、価値観の違いによる人々の分断、外へ出てもマスクーなど、疲れますね。ほっとできる写真を載せることができていればいいのですが。
夫の家族の中ですら、新型コロナウイルスへの考え方は違います。夫の家族の1人は今年のクリスマスは例年と違って参加しない宣言をしています。1月末頃に、大きな家を借りて、ソーシャルディスタンスしながら集まろう、と言っています。家族の他のメンバーはそこまでしなくても、と温度差があります。
ル•フィガロという新聞によると、今日23日夜、パリのレピュブリック広場に数100人の難民がテントを立てました。警察の指導で、約1時間半後には退去させられました。警察によってサン・ドニ市から退去されたことで、支援団体とともに、難民の問題を知ってもらいたくてこうした行動を起こしたようです。
私も、公園など外を走っていても、ときどき、こうした難民とみられる集団を見かけます。
バラの花を買いました。本当は予約せず店先で選んで買うのは駄目なのかもですが、売ってくださるのは助かります。
サン・ドニ市の本屋さんが、政府の指導するClick&correctをきちんと守っていないということで、警察が取り締まり罰金を135ユーロ請求されたという情報も読みました。
早くこうした取り締まりがなくなり、普通に、本や花が買えるようになってほしいものです。
今月28日からは、一人当たりのスペースを広く摂るなど、もっと厳しい入店制限をしつつも多くの商店が再開すると聞いています。
家族ですら、考え方の違いがあるのですから、いろんなところで、分断や対立が起きています。
今回、私はフランスの週刊風刺新聞「シャルリー・エブド」について以前よりも、じっくり考える機会を得ました。2015年に、シャルリー・エブド襲撃事件が起きたときは、働いている人の命が奪われることは許されない、と私も「私はシャルリー」の大規模なデモに参加しました。
ですが、最近、シャルリー・エブドによる厶ハンマドの風刺画として、裸でお尻を向けた男性のお尻の穴に星が描かれ、一部性器も見えた風刺画を見てしまい、ショックを受け、考えさせられています。直接は何の関係もないのですが、その風刺画を見たことで自分の子供のころの学校のクラスでのトラウマを思い出したりしました。
フランスのイラストレーター、カトリーヌ・ムリスさんの「わたしが『軽さ』取り戻すまで− “シャルリ・エブド”を生き残って」という本があります。フランス語版は「La legerete(軽さ)」。日本語に翻訳され出版されています。シャルリー・エブドで長い間、働いていた方の本です。
対立や分断を乗り越えて行くのに今、必要なのは、その“軽さ“なんだろうな、と思いつつも、なかなか軽くなれない自分がいます。