パリ徒然草

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サナリー•シュル•メール 1930年ごろのドイツ人作家らの亡命地


 先月4月に訪れた南仏の港町サナリー•シュル•メール。その港にある観光案内所前の石板には、第二次世界大戦中に町に住んでいたドイツ人やオーストリア人の作家や知識人の名前が記録されている。


 1930年代初頭のナチズムの台頭により、多くのドイツやオーストリアの作家や知識人が祖国を離れ、ここに定住した。


 劇作家ベルトルドブレヒト、エゴン・アーウィン・キッシュ、トーマス・マン、ルートヴィヒ・マルクーゼ、ジョセフ・ロス、フランツ・ヴェルフェルと彼の妻アルマ・マーラール・ムーラン・グリ(シャペル・ノートルダム・ド・ピティエの近く)のグスタフ・マーラーの未亡人、リオン・フォイヒトヴァンガーヴィラ・ラザール、そしてヴィラ・ヴァルマー、アーノルドツヴァイク


【観光案内所では1925年から40年の外国人アーチストの家を巡る散歩道のパンフレットも配布している】

 恥ずかしながら知らない、読んだことがない作家も多いのだが、トーマス・マンの「魔の山」なら知っている。マルクーゼもおぼろげながら何か読んだことはある気がする。夫は私よりもはるかにたくさんこれらの作家の本を読んでいた。


【ハクスリーの家などパンフレットに地図で示されている】

 オルダス•ハクスリーは、1931年の短い4ヶ月間に、この地でディストピア小説の古典「すばらしい新世界」を書いた。
 
 ユダヤ人の哲学者ルートヴィヒ・マルクーゼは、サナリー•シュル•メールについて著書「MeinZwanzigstes Jahrhundert」で、Wir wohnten im Paradies – notgedrungen」(p。160)(「私たちは自分の意志に反して、楽園に住んでいた」)と書いている。

 
 「亡命生活を送っているなら」とヘルマン・ケステンは書いてる。「カフェはすぐに家族の家、国、教会、議会、砂漠、そして巡礼の場、ゆりかごになります。幻想とその墓地の...亡命中、カフェは人生が続く唯一の場所です。」

 
 1939年の宣戦布告により、フランス政府はこれらの亡命者を敵国人として扱い、収容所に収容した。最終的に数人はアウシュビッツに送られた。

 そして、作家、フランツ• ヘッセル。1941年にサナリー•シュル•メールで亡くなっている。


Franz Hessel
https://fr.m.wikipedia.org/wiki/Franz_Hessel

 1962年のフランソワ•トリュフォー監督の「突然炎のごとく」という一世を風靡したフランス映画がある。原作はアンリ=ピエール・ロシェの「Jules et Jim ジュールとジム」(1953)という小説だが、このモデルだったのが、フランツ•ヘッセルとその妻とアンリ=ピエール・ロシェの3人だと言われている。

 結局、私にはサナリー•シュル•メールで、ゆっくり多くの作家の家を見て回る時間はなかった。唯一、一軒だけ玄関辺りから写真を撮った。






突然炎のごとくウィキペディア
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%AA%81%E7%84%B6%E7%82%8E%E3%81%AE%E3%81%94%E3%81%A8%E3%81%8F

サナリーシュルメールについてのブログ
https://clairefr.hatenadiary.com/entry/2022/04/07/053551