フランスのスーパーの服、下着、靴下、お皿やフキンなどのキッチン用品、アロマキャンドル、書籍などの売り場にテープが巻かれ売らないようになっていた。
狭い部屋を片付けるために近くの雑貨屋にプラスチックの収納箱と調理器具のざるを買いに行ったら店にシャッターが降りていた。
市場の花屋もビニールシートが被され花が見えなくなった。中には、窓口があり電話番号が書かれ、注文の手渡しだけが可能な花屋さんもあるようだ。
新型コロナウイルスの蔓延で昨日からは“生活必需品”以外は店舗で気軽に買えなくなった。悲しい。
今、一般市民の「自由」はますます脅かされていると、私は感じる。
夫に質問した。
「学校などフランスの国の建物によく『自由、平等、友愛(Liberté, Égalité, Fraternité )』って書いてあるよね。フランス共和国の標語よね。
そもそも自由と平等は矛盾すると思う。生まれたとき、貧乏な家庭に生まれる者、裕福な家庭に生まれる者、身体能力の高い人、低い人、美しい者、醜い者、才能のある者、才能のない者、頭脳明晰な人、そうじゃない人。平等ではない。
それを平等にしようとすると、不自由な人が、出てくる。小売店が営業できないならスーパーも非必需品を売らない平等にしよう、というのに似て、頭脳明晰な人も理解力の悪い人に合わせた教育しか受けられなくなる。足の早い人は遅い人に合わせて走らないといけない。学校ではどう習ったの? 」
明確な答えは得られなかった。「政治的なもので、努力目標だろう」と夫は言った。自分で調べた。今では、ウィキペディア先生が答えてくれる。便利な時代になった。ウイキペディア先生ありがとう。
【フリーメイソンの旗にも『自由、平等、友愛(Liberté, Égalité, Fraternité )』、パリのフリーメイソン博物館】
私の理解を要約すると、
☆自由とは、他者に害をなさぬあらゆることを行うことができる権利である。
☆平等とは、法の下での平等である。
☆友愛とは、他者に対する義務であり、倫理的なスローガンである。
確かにこれなら矛盾しない。良い考えだ。きっと私も夫も小学生か中学生のころ習ったのに、忘れたのだろう。
「自由、平等、友愛」の起源はフランス革命に遡る。この標語は、秘密結社フリーメイソンで生まれた。
「フリーメイソンがフランス革命に大きな政治的役割を果たしたってフランス人は、みんな知ってるの?」「うん、ロベスピエールもフリーメイソンだったんだ」と、ことも無げに夫は言った。それはフランス人にとっては、常識だという感じだ。
【パリのフリーメイソン博物館の展示物。ここにも自由、平等、友愛(Liberté, Égalité, Fraternité )の文字】
日本ではフリーメイソンは、都市伝説ネタで有名な芸人さん、関暁夫さんの出てきそうなバラエティー番組で、オカルト的に語られる秘密結社だけど、歴史的な事実だった。私は日本の学校で世界史を習ったこともなく、知らないことばかり。
ウイキペディアによると、「法の精神」で知られるシャルル・ド・モンテスキューも、啓蒙主義を代表する哲学者、ヴォルテールもフリーメイソンリーだった。作家のスタンダールも、音楽家のモーツァルトも、フリーメイソンリーだった。作家のヴィクトル ユーゴーもメイソンリーだったという説がある。
フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を作詞作曲したクロード・ジョゼフ・ルージェ・ド・リールもフリーメイソンリーだった。
エッフェル塔を建設したギュスターヴ•エッフェルや自由の女神像を作った彫刻家、フレデリック•バルトルディもフリーメイソンリーだそうだ。
ニューヨークの自由の女神像はフランス系フリーメイソンリーとアメリカ系フリーメイソンリーの間に交わされた贈り物だという。
パリのグルネル橋やリュクサンブール公園などで、ニューヨークのものよりは小型の自由の女神像を見かける。
【パリのレプリカの自由の女神像】
一方で、パリのフリーメイソンの博物館には、こんな版画もあった。
骸骨はあるし、首吊りのようにも見えるし、怪しげだ。その横にイニシエーション(入会や昇格の儀式)についての説明があった。死と再生の儀式。こうした儀式が集団の結束を高めるのだろう。
フリーメイソンの言う「友愛」とは、こうしたイニシエーションを経た者同士の「友愛」ということなのだろう。
フリーメイソンは、政教分離を進めた団体としても知られているが、博物館の横に儀式の部屋があり、その装飾の中に「プロビデンスの目」があって、じっと見つめられているようで怖かった。プロビデンスの目は「神の全能の目」を表し、フランスの人権宣言の版画やアメリカのドル紙幣のデザインにも使われている。
【パリのフリーメイソン博物館の展示物。プロビデンスの目もある】
【フリーメイソンの儀式の部屋】
「プロビデンスの目とは、コンピュータなのです」と講演家で作家の宇野正美さんは、言っていた。巨大なコンピュータが私たちを監視している、と。
今や私が信奉しているものは、確かにコンピュータである。さっき、私が「ウイキペディア先生」と書いたように。今日の日記もウイキペディアを参考に書いたのだ。
最近のニュースは、いずれ現金も小銭も消え、コンピュータ上で、お金のやり取りをするようになるだろう、と伝えている。
お皿も、フキンも、花も生活必需品じゃない。でも、コンピュータは必需品だ。
そして、必需品となったコンピュータに私は監視されていると感じる。コンピュータ上でネット上で、何かしている限りにおいて、すべて知られていると考えておいた方が良い。監視されていると考えておいた方が良い。
現在、新型コロナウイルスによってコンピュータに知られることなしに何かをする自由はますます減っている。
生活必需品ではないものが文化であり、人間性の回復に役立つものだと私は思う。獣と人間を分けるものだと私は思う。
今、ある物で構わない、監視されていない自由を満喫しよう、と私は思った。時間があるなら無駄なことを楽しもう。
紙に、文字や絵をかこう。
好きな服を着よう。
きれいなお皿に盛ろう。
スマホで写真は撮らない。自分だけの楽しみだ。
アメリカ大統領選挙ばかり気にしてスマホやテレビばかり見るのは辞めよう。
夫は、「しまった、こないだ捨てたからジョギング用の靴がない」と言いながら、革靴でジョギングに走り出した。
【参考にしたウィキペディアの項目】
自由、平等、友愛
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3
プロビデンスの目
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%AE%E5%A5%B3%E7%A5%9E%E5%83%8F