パリ徒然草

パリでの暮らし、日本のニュース、時々旅行、アート好き

夫の家族の集まりが少人数に

 今年の復活祭、夫の家族は集まらなかった。

 

 例年であれば、10人程度集まったのだが。マクロン大統領の発言も、昨年のクリスマスと同じで、復活祭くらいは例外で家族くらいは、集まっても良いニュアンスを感じたのだが。さらに、夫の家族の中で年齢の高い二人は、ワクチンも打ち、数週間経つので、効果の出る時期を迎えているのだが、それでも集まらなかった。

 

 実は1月、2月のまだコンフィヌモンではない時期に甥の18歳の誕生会を家族で予定していたが、2回、お流れになった。私と夫は、毎回、優先し予定を開けているのだが、どちらも、新型コロナウイルスが原因、遠因の中止だった。

 

 1回目は、急に、高校の予定が変更され、試験が早めになるとかで、試験準備のためだった。2回目はその高校で、新型コロナウイルスが流行し、甥もその両親もPCR検査を受け、その結果待ちの期間が誕生会と重なったための中止だった。結果、クリスマス以来、甥にも会っていない。

 

 クリスマスに窓を開け、寒さに震えながら、マスクをして集まったのが、最後となった。(会っても、全員集まるのではなくて、3−5人で会っている。以前と違って食事なしで会うことが増えた)

 

 こうしたフランスの家族の集まりが面倒だなあと思うときもあったのだが、月に一度程度は、何かと理由をつけて集まっていたので、なくなると寂しいものだなと思う。ちなみに、復活祭のときに例年、食べる料理があって、それは、アニョー・パスカル (Agneau Pascal)という羊を焼いたものである。



f:id:clairefr:20210408071006j:image
【羊を焼いたアニョー•パスカル

 

 その甥は、現在一ヶ月間一人で、パリで、暮らしている。両親(義弟夫婦)が、マクロン大統領の言った復活祭の猶予期間の間に、島にあるセカンドハウスに移ったためだ。義弟夫婦はコンフィヌモンが終わった5月初めにパリに帰ってくる予定という。


f:id:clairefr:20210408070105j:image

 

 私が、夫に、「一ヶ月間、ご飯はどうするのかな? 一言、何かあったら声をかけてね、と言っておいた方が良くない?」と言ったら、ゲラゲラ笑われて「羽伸ばしているよ。心配なーい」と言われた。

 

 自分の18歳の頃を考えた。

 

 私も、18歳で初めて一人暮らしをしたことを思い出した。日本での話だが。当時はインターネットがないから、分厚い基本の料理の本を買った。その本は今でも私の教科書だ。

 

 自由であることが楽しかった。夫が言うように親から離れられて嬉しかった。知らない世界を知れて楽しいことがたくさんあった。ただ、大学の授業も普通にあっていたときの話である。バイトもいくらでもあって、やることもたくさんあったのだ。


f:id:clairefr:20210408070232j:image

【写真はロシア風サーモンパイ「クーリビャック」。1月に食べる料理として知られる】

 

 一方で、アルバイトから帰る夜道での痴漢、不審者による家宅侵入と盗難など、被害にも遭った。財布も3回(!)失くして3回とも戻ってこなかった(3回目には、カード停止が得意になっていた)し、日本だから善人ばかりというものでもなかった。40度以上の高熱が出てもひとりで何とか切り抜けるしかない目にも遭った。

 

 そして、19歳でアルバイトで貯めたお金で初めての海外旅行でパリに来た。ホームステイ先に何度電話してもつながらず、大きなスーツケースを抱えて、パリのホームステイ先の近くを何時間もウロウロし続けたことを思い出す。


f:id:clairefr:20210408072102j:image

 あのとき、日本で知り合ったフランス人の仏語教師がいることを思いだし、電話して、フランスの電話番号検索というものを教えてもらった。(良くあの当時、電話で仏語で意思疎通ができたものだ、と自分を褒めたい)。

 

 語学学校のくれた電話番号の1つの数字が間違っていたということが発覚し、やっと連絡がついて切り抜けることができた。

 

 「いやー、やっぱり一言、声かけてても良くない? 返事なくてもいいからさあ」と私。「(笑)相手は、大きなお世話だよ。ほっとこう」と夫。

 

 まあ、確かに私も、何とか、なった。いろんな他人に助けていただいて、充実した日々が送れた。何とかなっていく可能性の方が高いのだ。


f:id:clairefr:20210408072350j:image