いちめんの麦畑を見たくてパリ北西部のオーヴェル=シュル=オワーズ(Auvers-sur-Oise)に行った。
麦畑には、画家フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh、1853年 - 1890年)が描いた絵画のパネルがある。
麦畑のそばには、墓地がある。ファン・ゴッホは1890年7月29日に死亡した。その墓地に、ゴッホと弟のテオが眠っている。
7月某日。平日午前11時過ぎの墓地には、工事の人しかいない。
家を出る直前に、オーヴェル=シュル=オワーズのページだけ破って持ってきた「地球の歩き方 フランス」の10文字の情報に救われた。それがなければ、たくさんあるお墓の中からゴッホの墓を見つけられたか分からない。「ゴッホの墓は左の壁脇」(by「地球の歩き方 フランス」)。
墓参りに来たのに、花を持ってないな思って、畑の脇の野花を摘んで持ってきた。ゴッホに、タンポポ、テオに名前は知らない清楚な白い花。誰もいない墓地の前で手を合わせた。
新型コロナの影響で日本に帰っていないせいで、長い間、お墓参りしていなかったなあ(夫の家族には墓参りの習慣がない)、と急に思い出し、ゴッホとテオの分だけでなく、自分の家族の分もお祈りした。
ゴッホは1890年5月20日、画家仲間のピサロの紹介で精神科医のポール・ガシェを頼り、新たな静養地としてパリ北西部のオーヴェル=シュル=オワーズにやってきた。レストラン「ラブー亭」の3階の屋根裏部屋に宿を取り、2カ月という短期間に約80点もの作品を精力的に描いた。つまりゴッホがオーベールにいたのは5月20日から7月29日までだ。
【オーベールにあるゴッホの像】
パリに住んでいるのだから、ゴッホがいた季節の晴れた日に、年に一回はオーベールを訪れたいと思う。ゴッホも書き残しているように、この時期、ここは美しく気持ちいい場所なのだ。実際は時間を取れなくて、この時期に来たのは、2回目だろうか。
私はゴッホが一番好きな画家というわけではないけれど、ゴッホの絵の力強さは昔から感じている。
高校生のころ地元の小さな公立美術館に行った。全く有名ではない暗い静物画が私に訴えかけてきた。私は、その静物画のエネルギーに圧倒された。何かが全く他の絵と違っていた。
そして、画家の名前を見た。ゴッホだった。地方都市の美術館にゴッホがあるんだ。美術鑑賞に心を惹かれたきっかけだ。
前述の墓地からガシェ医師の家まで約30分歩いた。途中の道も素敵だ。だが、新型コロナの影響で平日、ひっそりしてて観光客はいない。たまに一人か二人とすれ違った。
【上の11枚の写真は墓地からガシェ医師の家までの間に見た風景。花も咲いていて歩くのが楽しい】
ゴッホについての映画は近年でも製作され、公開されている。
映画の中でゴッホがガシェ医師を描くシーン
『永遠の門 ゴッホの見た未来』(2019年公開)より
ゴッホとガシェ医師の娘のマルグリット ガシェの恋を主題とした映画もある。真相は分からないが、ゴッホはマルグリットの絵を2枚描いている。どちらもウエディングドレスのような白いドレスを着ている。
【「庭のマドモワゼル ガシェ」ファン・ゴッホ オルセー美術館蔵 】
この絵が描かれた季節にガシェ医師の家の庭を見てみたかった。
ガシェ医師の家には、ゴッホがガシェ医師を描いたエッチングやガシェ医師の息子のPaul Louis GACHET (1873-1962)の作品等が展示されていた。
【Paul Louis GACHETの作品2点】
【ガシェ医師の家の2階】
監視員の女性にゴッホが銃創を負った(一般に自殺とされているが、事故、他殺説もある)場所を尋ねた。はっきりは分かっていないが、麦畑の近くである可能性が高いという答えだった。
マルグリットもゴッホ亡き後、しばしばゴッホのお墓参りしていた姿を村人に目撃されている。私が歩いた道を何度も、往復したのだろうか。
【ガシェ医師の家の前で撮影】
参考
映画「ゴッホ 最後の手紙」予告編