パリ徒然草

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「愛」が苦手だったけれど...

 ウイキペディアで「愛」について調べた。

 日本の古語においては、「かなし」という音に「愛」の文字を当て、「愛(かな)し」とも書き、相手をいとおしい、かわいい、と思う気持ち、守りたい思いを抱くさま、を意味した。

 恋愛に関しては「色」や「恋」という語が用いられることが多く、その概念そのものも欧米のそれとは大きく異なっていた。

 近代に入り、西洋での語義、すなわち英語の「love」やフランス語の「amour」などの語義が導入された。(ウィキペディアから引用)


 私は思春期のころ、日本の歌謡曲やJPOPの歌う「愛」が凄く苦手だった。「愛」の大安売りだと感じた。歌詞に敏感な子供だった気がする。

 音楽は聞きたくなくても聞こえてくる。嫌いな音楽を聞かないといけないのが苦痛で、日本のスーパーやコンビニ、レストランでかかっている音楽のせいで気分が悪くなることがあった。私のやる気、元気を奪っていく。鬱になるくらいである。

 当時のヒット曲、外国から輸入した「愛」に、ことさら価値を置く歌詞が多く、イライラした。恋愛至上主義にむず痒くなった。バックに広告を感じるのも嫌だった。3S政策による洗脳を無意識に感じていたのかもしれない。音楽のスタイルそのものも苦手なことが多かった。好きな音楽への強い思いに比例して、嫌いな音楽も際立った。


 愛は差別でもある。好きなもの、嫌いなもの、そして、どうでもいいものがあるのだ。人間だもの、どうしようもない。

 私にもそれがある(歌謡曲が苦手だったように!)のだから、私が誰かの嫌いなものや、どうでもいいもの、できたら距離を置きたいものに分類されたとしても、それだから私が悪いわけではない。落ち込む必要もない。ただ、そのときの、その人に合わなかっただけである。


 日本のJPOPや歌謡曲を聞かなくて済むことがフランスに住むメリットのひとつだと思っている。ヨーロッパでは、私の好きなミュージシャンの曲がレストランやお店でかかっていることが多い。

 例えば、バルセロナのレストランでトルティーヤを食べていて、「あ! イギリスのエヴリシング•バッド•ザ•ガールがかかっている!」と嬉しくなった。

 元旦を迎えるディスコパーティーではU2の「ブラディ・サンデー」のSunday Bloody Sundayを皆で歌い踊った。おべっかを言うことなく、相手に合わせて作り笑いをすることなく、自然体で、楽しむことができた(私も誰にでも音楽の話自体をしない。高校生で同級生にスティングを勧めて「暗い」と言われて以来、ブログ以外で他人に音楽を勧めることはあまりない)。

 もともとイギリスやアイルランドのロックやポップスが好きだったことは、パリで生活するときのコミュニケーションには役立ってきたかもしれない。フランス人も英語のロックやポップスを聴く人多い。

 断じて流行し過ぎているから嫌だった天の邪鬼とか、そういう話ではなかったのだ。フランスにいると、私の好きなミュージシャンをいいと言ってくれる人が日本にいたときよりも増えて、普通に嬉しい。


 それでも、ごく稀に、パリの地
下鉄で、私にとってはイケていない音楽を演奏するミュージシャンが現れることがある。大音量なのが困る。わざわざ車両を変えて逃げ出したこともある。


 「愛」については、フランスに住み始めたころ、西洋的愛を理解する必要がある気がして、ロラン・バルトの「恋愛のディスクール」という本を読んだ。ロラン•バルトも西洋的愛も良く分からなかったが、最近やっと「愛」はいいものだ、と素直に思えるようになった。

 自分以外の人をいとおしいと思う気持ち、自分よりも誰かを大切に思う気持ちは、自分へのギフトなのだ。それは、奇跡のようなこと! 大きな力をくれる。心があったかくなる。そこから自分だけの世界を打ち破るのだ。やっぱり愛はいいね!

 そこで、今日、嫌いだった日本の歌謡曲YouTubeで聞いてみたのだが、私には合わなかった。ファンの方、ごめんなさい。

「愛」https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B