パリ徒然草

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ノエル•ギャラガー(オアシス) 11月の公演を待ちながら パリの無料ライブで聴いたミュージシャン② 


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2015年6月パリでの無料ライブ↑

 

   パリには、カウンターで1ユーロでエスプレッソが飲めるカフェがある。先日、そのカフェに一人でいたら、The smith(ザ•スミス)というイギリスのバンドのask(アスク)という曲がかかった。ヨーロッパが好きなのはこういうところだ。日本にいるより聴きたい曲がなにげない場所でかかっている。日本に比べて聴きたくない曲を聴かなくてすむ。なんとなく入ったレストランやカフェで私の好きな曲が聴けることが多い。

 

 高校生でブリティッシュ•ロックにハマったので、それを聴くと母の胎内に帰ったかのように落ち着く。(日本の田舎のスーパーやコンビニでしばしば、こんなの聴きたくねー、音害だとイラッとしていた私だったが、それと同じシーンはパリでは少なくなった。何度かパリの地下鉄内のミュージシャンから、怒りながら逃げ出したことはある。私の態度があからさまなので、夫から、もう少しこっそり、分からないように逃げろとたしなめられている)

 

 旅行先のスペインのレストランでタパスのトルティーヤを食べながら、エヴリシング バット ザ ガール(イギリスのユニット)の曲を聴いて嬉しくなって興奮していた瞬間を私は数年経っても覚えている。好きな音楽があるから、嫌いな音楽も際立ってしまう。

 

 前置きが長くなったが、ノエル•ギャラガーである。あのイギリスの、有名な伝説のバンド、オアシス(91年ー2009年)の作曲家兼ボーカル兼ギタリストだった人だ。

 

 

 私とノエル•ギャラガーの出会いは2015年6月23日、パリのレピュビリック広場でのことだった。と言っても私は大勢の一人だっただけだが。

 

 Oui FMフェスティバルというイベントがあって無料でノエル・ギャラガーのライブを聴けたのだ。まるで夜の散歩にでも行くように、夫と出かけて、ノエル・ギャラガーの歌声とギターを聴いた。なんて幸せな時代だったことだろう。

 

 その頃はまだ、バタクラン劇場でのテロ(フランス同時多発テロ、2015年11月13日)も起こっていなかったし、ライブに行くのが怖い、勇気がいると思わずにすんでいた。

 

 オアシスと言えば、私が思い出すのは、私の弟である。私は、弟から凄いバンドが登場した、オアシスだーとデビュー当初90年代初め辺りから聞いて知っていたのだが、オアシスは、なんとなく、聴かないバンドだった。なんとなく縁がなかった。荒くれ者、不良的なイメージが好きになれなかったのかもしれない。そんなの、きっと売るために作られた伝説だろう、と疑っていたのかもしれない。

 

 数年前、私に会いに日本から弟が家族総出でパリにやってきた。IT企業で働く弟は最上階の4つのベランダのあるアパートの一室をairbnbを使ってレンタルしていて、それは雑誌フィガロに紹介されるようなインテリアの素晴らしいコンドミニアムだった。私は鍵の受け渡しに協力したり、訪ねに行った。

 

 その弟は、パリに来てもスマホにイヤホンでオアシスばかり聴いているのが印象的だった。IT企業で部下もいてスーツで働くこともある弟にとって、パリのBGMは、オアシスなんだなあ。

 

 2015年6月23日のパリの無料ライブの話に戻ると、散歩に行くようにライブに行って、ガッツーン、とやられた。

 うわ、無料でこのクオリティ?

 カッコ良すぎ。

 

 このライブを聴いた翌日、オアシスのCDを買いに、パリのGIBERTという本屋に走った。欲しい曲の入ったCDが中古盤しかなかったので、中古盤を買った。せっかくなら、ミュージシャンに貢献できるよう新盤を買いたい派だが、オアシス解散から数年経っていたので、中古盤しかなかったのも仕方ない。今ではオアシスのCDも集めた。このように、パリに来てからCDは、無料ライブで発見して、買うようになった。

 

 オアシスについてはドキュメンタリー映画「オアシス•スーパーソニック」も2016年日本でも公開された。

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https://youtu.be/klK15QT-iT0

 

 

 冒頭でザ・スミスについて触れたのは、ノエル・ギャラガーが影響を受けたのがザ・スミスだと、ウィキペディアを読んで知ったからだ。『彼は、1983年にザ・スミスがトップ・オブ・ザ・ポップスでパフォーマンスした「This Charming Man」から強くインスパイアされた。後に彼は「その日から、ジョニー・マーザ・スミスのギタリスト)になってやろう、そう思うようになったんだ』と語っている。

 私も若い頃、ザ・スミスを熱狂的にたくさん聴いていた(なぜか最近は聴いてない。今はMetronomyを毎日聴いている)。懐かしい。

 

 ウィキペディアによると、U2のアルバム『原子爆弾解体新書〜ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム』の収録曲「ワン・ステップ・クローザー」は、ボノに対しノエルがかけた言葉をもとに歌詞が作られた。CD持っているのに、その曲の歌詞の後に 「with special thanks to  Noel Gallagher」と書かれていることに気づいてなかった。

  この曲のタイトルは、ボノの死にゆく父親、ボブ・ヒューソンについてボノがギャラガーと交わした会話に由来してるのだそうだ。ボノは「彼は神を信じていると思いますか?」と尋ねた。ギャラガーは、「まあ、彼は知ることに一歩近づいた」と答えた。

 

 誰だって誰にでも、自分の個人的なことを話さない。ボノにとって、ノエル・ギャラガーは個人的で深い話、父親の話ができる人なんだなあ、と思った。ボノはノエルよりも7歳年上である。ノエルと言えば、アルコール依存症の父親に虐待されて育ったとさまざまな媒体に書いてあるが、辛い経験をして来たことも、関係があるのだろうか。

 

 さらに、ノエルは私の大好きなポール・ウェラーのアルバムに何枚も参加している。これもウィキペディアに載っているので最近、知った。

 

 ポール・ウェラーのモッズ時代のバンド、ザ・ジャムの曲を若手ミュージシャンが歌っているアルバムがあって、一曲目がノエルの弟のリアムで、最後の曲をノエルが歌ってる。このアルバムを聞くと、ザ・ジャムの曲は凄くいいといつも思う。

Songs of the Jam

Songs of the Jam

Amazon

 ノエルについてのウィキペディア読んでいたら、だんだん親近感を感じて来た。今では、こっそりノエルちゃんと呼んでる。

 

 オアシスと言えば、兄弟喧嘩で有名だ。オアシス解散の理由はザ・スミスのギタリスト、ジョニー•マーがプレゼントしたギターを弟リアムが壊したことにノエルが腹を立てたことにあるらしい。その話が本当なら、オアシス解散にすらザ・スミスが絡んでいるんだなあ。

 

 オアシスは2009年、パリのフェスティバルでステージに上がる直前に解散した。楽屋での諍いがもとだった。ノエルにとっては、こんな思い出もあるパリなのね…

 

 昔は男同士の嫉妬や喧嘩がうぜーっと思っていた。本当に嫌だった。距離を置きたかった。実は日本で結構、そういうものごとを見聞きする機会があったのだ。それなのに、ノエルとリアムの仲の悪さが面白い、どっちも愛らしい、と思ってしまう。

 

 ノエル・ギャラガーは11月11日にパリのZenithで公演する。パリの地下鉄の通路に貼ってあるポスターの写真を夫が私に送ってきた。このポスターの写真ちょっと良くないよね。だって、ノエルの文字が電灯の光に消されてる。これじゃ、ノエルに怒られるかも。

 弟リアムは、8月日本でも公演するし、これじゃアーチストに怒られるかも、と、わざわざ別のポスター探して、写真を撮った。それがこのブログの初めの方に貼った写真である。

【パリの地下鉄の通路にはこんなふうにさまざまな広告】

 

 私はノエルのパリ公演のチケット買った。今のところ一人で行く予定。日本から私の弟がパリに、来ないかな。弟が来てくれたら、一緒に行こう。

 

 ノエルちゃん、いつだったか、日本のテレビ番組に出て、AKB48を13歳、14歳の子供ーと批判してくれてありがとう。日本の芸能界を批判してくれるのは、イギリス人くらいだよ。BBCのジャニーさん報道と言い...。  

 ノエルちゃんの批判とは「愛」だよね。毒舌、暴言も含めてノエルちゃんが愛らしい。きっと、とても優しい人なんだ。

 

 ノエルちゃん11月11日、パリで、会おう。8年ぶりの再会、待ってるね♥。

 

le-zenith.com

 

リアムが歌っているノエル・ギャラガー作詞作曲のWonderwall。

https://aanii.net/wonderwall-oasis/