神に愛された土地。まさにこの言葉がぴったりだ。コート・ダジュールは本当に美しい。私はこの数日間、夢の中にいた。
少し歩いては、景色の美しさに感嘆し、日暮れどきはその美しさに言葉を失った。私は夢の場所に初めてこんなに長く滞在した。
そしてシャワー室のガラスが割れた。シャワー室の中には、夫がいた。粉々のガラスの破片を被っていた。私ではなく。
どんなに美しい場所にいても、心配事があれば、その美しさすら、白々しくて意味のないものに、自分とは関係ないものに、冷たいものにすら見えてしまうことがある。夢の世界というのは、簡単に破壊されてしまうものだ、と知った。
夫が無事で良かったのだ。大事にならなくて。それ以外は些末なことに過ぎない。自分や家族の安全や健康に勝るものはない。
どこかで自分を責めた。安い物件を私が選んだせいではないのか。私はこの場所の美しさにどこか、浮かれ過ぎていなかっただろうか。
そのくせ、帰る頃になると、なぜか私はだんだん悲しく寂しくなった。夢を実現させたから? それともここから去るのが辛くて?この感情は何だろう。
この町もただの夢の世界ではない。虎視眈々とお金を稼ごうと皆狙っていて、争いごとがあり、世界の富豪が集まる夏のバカンス地だ。貧乏人は軽くあしらわれる。当たり前だ。そう感じた一つひとつを詳しく書く気はないが、そういう物を見聞き、経験して、自分の中の夢が色褪せて行くのが悲しかったのだろうか。
それでも、コート・ダジュールは美しい。自然そのものが、海の色が、太陽が美しい。お金持ちのヨットも別荘地も小さな村の街並みも美しい。
新型コロナウイルスでフランス全体の外国人観光客が減った今も、その美しさは愛され、人々を惹きつけ続けている。少なくとも、私が行った街を歩くだけでは数年前に比べて賑わっていないと感じるようなものは何もなかった。
たくさんの人々で賑わっていた。ビーチには朝早くから人がいた。マスクもせず、リラックスしていた。海辺を多くの人がすれ違った。夜のカンヌの町は、フェスティバルのように夏のお祭りの雰囲気だった。パリのように急に増えた貸し店舗を見かけたりもなかった。ハイセンスなブランドのブティックが健在だった。
【カンヌの街並み】
【マジェスティックホテル、カンヌ】
コート・ダジュールは、その陽光は私にたくさんのパワーをくれた。2020年のヴァカンスが人生で最高のヴァカンスだった。フランス人の思うヴァカンスに近い、ビーチにいることが多い、ゆっくりとしたヴァカンスらしいヴァカンスだった。
ああ、私はただ、夏の終わり、ヴァカンスの終わりを感じるのが悲しかったのだ。景色が美しければ美しいほど、夏の終わりが私の心を締め付けた。感傷的にさせた。
【ヴィルフランシュシュルメールの夜明け】