ジムノペディで知られる作曲家、エリック•サティ。モンマルトルの裏にサティが住んでいたことを示すプレートのあるアパートがある。日本でお世話になっている人がサティが好きと言っていたので、お礼の意味も込めて写真を撮りに行った。
【このアパートです】
1890年から1898年まで住んでいたとのプレートがある。
【エリック•サティ、作曲家が1890年から1896年までこの家で暮らした(訳)】
【アパートのあるコルト通り】
【コルト通り】
【コルト通り、右手にモンマルトル美術館がある】
ウィキペディアによると、サティは、「1887年からモンマルトルに居住し、1890年からこのコルト通り(Rue Cortot) 6番地に居住。モンマルトルのカフェ・コンセール『黒猫』に集う芸術家の1人となり、クロード・ドビュッシー、さらにコクトーやピカソらと交流(のちにカフェ・コンセール『オーベルジュ・デュ・クル』に移る)。バレエ・リュスのために『パラード』を作曲。またカフェ・コンセールのためのいくつかの声楽曲を書く。よく知られる『ジュ・トゥ・ヴー』はこの時の作品。薔薇十字教団と関係し、いくつかの小品を書く。同一音形を繰り返す手法を用いた『ヴェクサシオン』『家具の音楽』なども書いた。
なお『家具の音楽』というのは彼が自分の作品全体の傾向を称してもそう呼んだとされ、主として酒場で演奏活動をしていた彼にとって、客の邪魔にならない演奏・家具のように存在している音楽というのは重要な要素だった。そのことから彼は現在のイージーリスニングのルーツのような存在であるともいえる。
1893年以降、画家シュザンヌ・ヴァラドンと近しくなる。」
【コルト通り近くにある階段】
私は、サティが生まれたオンフルールのサティの家にも行ったことがある。サティについては、シュザンヌ・ヴァラドンと約半年の恋愛後、失恋の痛手から孤独に暮らしたことなどある程度知っているつもりだったが、改めてウィキペディアを読んで、「薔薇十字教団」と関係があったとは知らなかった。さらに、薔薇十字教団を調べると、フリーメイソンの思想にも影響を与えたとある。
サティは、この教団の公認の作曲家として、薔薇十字教団の最初の思想(1891)、「星たちの息子」への3つの前奏曲(1891)、薔薇十字教団のファンファーレ(1892)ーこの3つの作品を書いた。
今日はこれ以上、掘り下げないでおこう。
久しぶりの晴れ間だったのでサクレクール付近には人が集っていた。
モンマルトルからの見晴らしもいい。
【遠くに見えるエッフェル塔】
モンマルトルのふもと、アンヴェール(anvers)辺りには金曜日だけ市場が立っている。私はマグロ、若鶏(Coquelet)、トム ド モンターニュ(tomme de montage)というチーズを買った。
【魚も買える市場】
【アンヴェールから見るサクレクール寺院】
すっかり日が暮れて、美しい夕焼けが見れた。
ウィキペディアのサティについての説明
モンマルトル付近散策の日本人ガイドによる動画(21分ごろ、モンマルトル美術館のある通りにサティのアパートもあります)