昨日の日記の続き。
【サン・ジャック教会内部】
【サン・ジャック教会】
3月9日午前11時50分、フランスの港町ディエップのサン・ジャック教会を出て、サン・レミ教会に向かった。サン・ジャック教会に感動していた。12世紀から16世紀に建てられた建物。こんなに古い建築に出合えるなんて、と驚きだった。彫刻など内部も見応えがあった。サン・レミ教会も素晴らしいかもしれない。期待が高まる。
サン・レミ教会に、着いた。だが、黒く重いドアが閉まっていて動かない。昨日、来たときは、開いていたのに、どうしたことだろう。
この旅行で、いくつか教会に行ったが、新型コロナと関係しているのか、分からないが、同じ時間に行っても開いていたり、閉まっていたり。見学できるのは運のようだ。工事中も多い。どの教会も開館時間が分からない。
昨日、お腹が痛くなって見学しなかったことが悔やまれた。私は、夫に、謝った。「ごめんねー。私のせいで見れなくなった」もうすぐ、この町を出発しなければならない。
サン・レミ教会の鐘が鳴り始めた。時計を見る。正午の合図だ。その合図がシンデレラの時間の終わりを告げる音のように聞こえた。
鐘の音を聞きながら、唯一残された城壁の部分を通って、最後に海を一目見ようとビーチに行った。この城壁も中世の雰囲気を残していて、素晴らしい。
海を眺めると、私たちはコートを着ているというのに、ビーチでは、泳いでいるグループが何組かいた。
午後1時過ぎの列車に乗らないといけない。ビーチ沿いを少し歩く。海を見ながら、「また来るね~」と海に向かって手を振って言った。
町の中心部に惣菜屋さんがあって、キッシュ2つとブシェ•ア•ラ•レーヌ(Bouchée à la reine)を買った。10ユーロ札でお釣りが来た。このお店は、レンジで温めてくれた。お店の人はとても、親切だった。
新型コロナ時代の食事処は、野外になる。港のベンチは争奪戦があるが、ちょうど、一つだけ、ギターを弾いて歌っている男性の隣のベンチが、開いていた。港の景色を望む特等席だ。
その、男性を見ながら、どこかの国では、新型コロナのせいで、歌うのが禁止じゃなかったっけ? と、思った。
ああ、ここは、まだ、フランスだった。ディエップの町には、イギリスの、異国の香りを感じていた。そのせいで、一瞬自分が、フランスにいるのか、分からなくなった。弾き語りの男性の隣のベンチに腰かけた。
ベンチにキッシュなどを広げて食べる。港の景色が、美しい。ちなみに、Bouchee a la Reine-ブーシェ・ア・ラ・レーヌ”のboucheeは、“一口大の”a la reineは、“王妃様の”という意味。ルイ15世のお妃様がパイ好きで、提案したのだそう。
私が食べたブーシェ・ア・ラ・レーヌは、パイ生地にペシャメルソースとキノコが入っていた。
弾き語りは、続いている。フランス語の歌だ。
夫が「バシュングのラ•ヌイ•ジュ•マンだ」と小声で言った。レジスタンスをテーマにした1998年のフランスのヒット曲だ。
La nuit je mens/Alain Bashung
列車の時間が気になって、キッシュを全部食べ終わらなかった。歌はサビの部分で「C'est pas grave(セ・パ・グラーヴ、大丈夫。大したことない)」を繰り返す曲に、変わっていた。歌手がフランス語で「キッシュの一部を食べ終わらなくてもC'est pas grave」と歌ってくれた。私は、にこにこしてしまう。
それから歌は私の知っている曲に、変わった。それが、Il est libre Maxだと分かるまで少し時間がかかった。
Il est libre Max/ Hervé Cristiani
このままここにいたいけど、出発しなければ。私は、ミュージシャンの男性にありがとう、と顔だけで伝えた。男性は、ウインクしてくれた。
ディエップは、とても、いい町だった。Il est libre Max(マックスは自由だ)を口ずさみながら駅に向かった。
ガイドブックを見ることなしに、初めての町にやって来た。観光局も閉まっていた。だから、ただ、歩いた。これこそが本当の旅なのかもしれない。
ディエップ城辺りからの眺めが素晴らしかった。
そして、丘の上の小さな礼拝堂を訪れるのも楽しかった。
礼拝堂には、漁師たちやその家族たちの祈りを感じられた。
【礼拝堂内部】
海の青と断崖の上の原っぱの緑のコントラストにクロード・モネの絵画を思った。