パリ徒然草

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安倍元首相銃撃を考える(6) 作家、島田雅彦氏の寄稿文に共感

 安倍元首相が銃撃された直後、「民主主義」への冒涜、攻撃、挑戦という言葉がメディアで並んで、私はイラッとした。違和感を覚えた。そもそも戦後の日本に民主主義があったのだろうか。「民主主義への冒涜」は嘘だと思った。そんな嘘を垂れ流す人たちが大勢いることに、そして、それは、参院選の前で同情票を動かすだろうことに私はモヤモヤした気分を抱えた。

 これまでの社会は民主主義であったのが大前提ーと誘導、洗脳してくる。こうしたあからさまな誘導は、格差社会の中で今が苦しい「負け組」の人たちに、どう映っているであろうか。もっとも、今の年齢まで生き延びた私も、嘘が溢れる虚ろな社会に感謝すべきなのだろうけれど。

 
 その後、安倍元首相襲撃事件については、さまざまな報道が出てきて、私も国民の多くがそうであるように、容疑者の蛮行はともかく、動機となった旧統一教会の異常な体質に驚き、その教義に驚き、さらに最大与党の自民党に深く入り込んでいることに、ショックを受けた。そんなことが許されていていいのか。この衝撃は、銃撃事件そのものの衝撃を遥かに上回るものだ。

 今の状況を力ある言葉で説明してくれる知識人がいないか、私は探した。指針となる言葉が欲しくて、知識人の言葉を探した。7月末の作家の島田雅彦氏の寄稿文が素晴らしかった。日本もまだ捨てたもんじゃない、と思えた。


現代ビジネス
2022.07.28
安倍元首相銃撃後の日本、このままでは「暗黒時代」のドアが開くかもしれない
それでも政治は変わらないのか?
島田雅彦
https://gendai.media/articles/-/97878

 この文章は、今年3月に刊行された島田雅彦氏の小説『パンとサーカス』(講談社)に要人暗殺が出てくることに、絡めて書かれている。特に共感した部分を引用させていただく。

 「安倍晋三元首相を暗殺した容疑者の動機は生々しい怨恨だ。旧統一教会に家庭を破壊され、家族一人一人が悲惨な目に遭った男の復讐は、自民党と旧統一教会の癒着を表沙汰にした。元首相はその広告塔を務め、閣僚等の重要ポストにあった34名を含む自民党議員の半数がこのカルト教団に資金や組織票、実働に依存していたという事実に国民はもっと怒るべきだ。

 憲法嫌いの議員たちは平然と「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」という憲法20条を踏みにじっていたのである。しかも、その事実は以前から知られていたにもかかわらず、事件後もそこに触れようとしないNHKほかマスメディアは、報道の自由度のランクを下げることに貢献している。」


「復讐や抵抗、暴動や反乱、暗殺やテロは誰にも気づかれないように準備し、静かに、敵の意表を突いて、実行されなければならない。

 山上容疑者は20年以上もの長きにわたり、怨恨を募らせ、この原則通りに行動した。地方遊説中、警備の薄い奈良・大和西大寺駅前を選び、支持者を装い、背後約6メートルまで接近し、限りなく火縄銃に近い手製の散弾銃で元首相を銃撃し、周囲の人間を一切傷つけず、即死に近い形で死に至らしめた。
 
 周到な計画と目的なしに暗殺は滅多に成功しない。このハンドメイド・テロは新自由主義者が好む自助努力の結晶といってもいいくらいである。」


「テロの連鎖は食い止められなければならないが、テロに強烈な動機を与えるような悪政や不正、搾取を改めるより、国家の無法は放置され、監視治安体制と言論弾圧の強化だけが図られる結果になるだろう。今のところ無法国家を抑止する制度も組織もほとんど機能していない。警察も検察も裁判所もマスメディアも国家に奉仕し、市民は沈黙と服従を強いられる。」


「いくら不正を告発しても、誰も法的処分を受けずに逃げおおせる。検察もマスメディアもたやすく抱き込まれる。国家権力と大企業は癒着し、株式会社日本政府を形成し、公益を無視して私腹を肥やすことに専心する。行政機関と結託すれば、企業の不正や違法は正当かつ合法になるのだから、当事者たちは断固として態度を改めようとはすまい。


この暗黒時代に救いを求める先があるとしたら、それは憲法くらいかも知れない。憲法自体が悪政からの解放宣言だったからだ。

日本政府はホワイトハウスや国際金融、多国籍企業、CIA、宗教団体などのロビイストが相乗りするバスみたいなもので、首相も大臣も官僚もそれに奉仕する番頭に過ぎない。自民党もその補完勢力も率先して憲法を軽視するが、それは憲法が独裁や戦争、人権軽視を許さない法典であり、市民を守る盾になっているからだ。憲法の条文にはアメリカには絶対服従などとは書かれておらず、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から消し去る努力を宣言している。政府に異議を申し立てる私たちの行動は憲法によって保障されているし、特定宗教と政治の癒着も憲法によって牽制されているのだ。

憲法軽視の議員たちは、自分が議員である前に国民の一人であることを忘れているのか? 曲がりなりにも国民の代表であるべき議員がなぜ国民の権利を制限し、安全を奪い、生活を圧迫するのか? それは自分で自分の首を絞めるに等しい。アメリカや特定宗教団体や国際金融の忠実な僕になることで得られる特権を奪われ、路頭に迷った時、何に助けを求められるのか、今一度その欲ボケした頭で考えるべきだ。」

ー以上ー(全文ではないので、サイトで全文を読んでいただきたい)

 憲法が最後の砦という島田雅彦氏の意見に同意する。


 数日前、弁護士の椎名麻紗枝氏がこうツイートしていた。

·「統一協会と安倍政権との癒着の一端は明らかになってきたが、協会との癒着で国政がどう歪められたかの解明はまだだ。これを解明するのは与野党問わず、国会の責任だ。国会(両議院)には憲法62条で国政調査権が認められている。国民も、憲法16条の請願権に基づき、国会に国政調査権の発動を求めよう」。