パリ徒然草

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安倍元首相銃撃を考える(2) 過去の暗殺事件

 三島由紀夫は「暗殺が完全になかったら、政治家はどんなに不真面目になるか」と、その効用を「学生とのティーチ・イン」で堂々と語っていた。「殺される心配がなかったらいくらでも嘘がつける」と。だから「民主主義には暗殺がつきもの」ともいうのだ。

 2000年以降も世界では、数々の暗殺事件が起きている(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%97%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7)し、日本の歴史を振り返っても、初代の総理大臣は伊藤博文は、1909年(明治42年)中国のハルピン駅での暗殺された。大正時代になると、原敬首相、浜口雄幸首相がいずれも東京駅で襲撃され、命を落とした。昭和になると「五・一五事件」で犬養毅首相、「二・二六事件」で高橋是清首相が亡くなった。

 また、安倍元首相の祖父にあたる岸信介元首相は、1960年(昭和35年)に首相官邸のレセプション会場で足を刺されて大けがを負っている。


 例えば、1921年に当時の原敬首相(65歳)を暗殺した犯人の国鉄鉄道員、中岡 艮一(こんいち)は、無期懲役の判決を受けたが、3回の恩赦により1934年(昭和9年)出獄。獄中で回想録『鉄窓十三年』を書いた。その後、満州に渡り陸軍司令部に勤務した。結婚もし、77歳まで生きた。

 自分が原敬首相の家族の立場だったら、と想像すると、複雑な思いがした。


 一方で、パリ在住のコメンテーター、ひろゆき氏がツイッターで安倍首相銃撃の容疑者の死刑を求めるツイートをしていた。ひろゆき氏は死刑を廃止した国、フランスに住んでいるではないか、と批判されているのを読んだ。被害者家族でもないのに、司法関係、検察関係者でもないのに、死を求める発信をしているのを読むのは、同じパリ在住者として、気分のいいものではなかった。

 昨今の実態として、一人殺した場合、最高裁の基準で、死刑判決は難しい。15年前に長崎市長が銃撃を受けて死亡したときは、政治的テロとして被害者が1人でも1審で死刑判決が出たが、2審、最高裁では無期懲役になっている。


参照
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B2%A1%E8%89%AE%E4%B8%80