ゴッホが描いたガシェ医師の娘のマルグリットが庭に佇んでいた。正確には、オルセー美術館所蔵のゴッホの油絵「庭のガシェ嬢(Mademoiselle Gachet au jardin)、1890年」のパネルが庭に置かれていた。ここはガシェ医師(Paul-Ferdinand Gachet、1828年 - 1909年)の家の庭。
9月半ば。ここオーヴェル=シュル=オワーズは既に秋の気配。
庭の写真をたくさん撮った。
この家の庭に来るのが好きだ。オーヴェル=シュル=オワーズには駅から徒歩でここよりももっと近い場所にお城の庭園もある。幾何学模様のフランス式の庭園↓は、ここよりずっと、広大だ。
だけれども、このガシェ医師の小さな庭がずっと、落ち着く。親しみやすく感じる。ゴッホもこの庭の絵をたくさん残している。
ゴッホは、サン・レミ精神病院での1年間の滞在を終えて、1890年5月、ゴッホの弟テオ、妻、新生児とともに3日間パリで過ごし、オーヴェル=シュル=オワーズに移り住んだ。
ゴッホはラヴー旅館の一部屋に住むことになる。ガシェ医師はその診察を担当した。
ゴッホは、オーヴェルに着いてすぐガシェ医師と仲良くなり、自宅に頻繁に招かれた。ゴッホの希望で週1〜2回はガシェ医師の庭を描写して、親交を深めていった。「新しい兄弟のように感じる。」とガシェ医師との関係を伝えている。
また、初めてガシェ医師と会った時の印象を、1890年5月2日付弟テオ宛の手紙の中で次のように綴っている。「僕はガシェ医師に会った。かなり風変わりな人のような印象を受けたが、彼の医師としての経験が、きっと少なくとも僕と同じくらい重い神経の病と戦いながらも精神のバランスを保たせているのだろう」
ガシェ医師の家の中では、ガシェ医師の絵の生徒だった女性、ブランシュ•ドゥルースBlanche Derousse (1873-1911)の展覧会が開かれていた。ルーブル美術館や国立図書館から貸し出された作品もある。以下の4点はブランシュ•ドゥルースの作品。
ドゥルースは、絵の展覧会を開いたりしていたものの、絵で成功することなく37歳で亡くなり、その死亡診断書には「お針子」と職業が書かれている。奇しくもゴッホと同じように独身でゴッホと同じ年齢で亡くなっている。
今日私がこれらのまとまった作品を見れたことに、不思議な縁を感じてしまった。展覧会は9月22日まで。
上の写真の絵はゴッホの「庭のガシェ嬢(Mademoiselle Gachet au jardin)」のドゥルースによる模写だ。ドゥルースはゴッホの絵を複数模写している。
【ゴッホ、庭のガシェ嬢(Mademoiselle Gachet au jardin)、オルセー美術館で撮影】
【ガシェ医師の家の庭の小高い場所から見る屋根】
【駅からのガシェ医師の家までの道で見た風景】
【途中にある家】
【真ん中の建物がゴッホが暮らしたラヴー亭】
【市庁舎】
【オーヴェル=シュル=オワーズの駅。遠くに教会の屋根】駅からガシェ医師の家まで、徒歩約20ー30分。
去年、ゴッホが暮した2ヶ月間5−7月に一年に一度はオーヴェル=シュル=オワーズに来ようと書いたが、9月になってしまった。10月後半にはガシェ医師の家も閉まってしまうようで、庭に花咲く時期に訪れることができ良かった。
ゴッホのお墓参り 2021年7月16日
https://clairefr.hatenadiary.com/entry/2021/07/16/052834