パリ徒然草

パリでの暮らし、日本のニュース、時々旅行、アート好き

日本帰国が怖い 毒親という課題

(今日のブログは個人的に私自身に起こったことに関連する私の心の吐露です。不快な思いをしたら読むのをやめてください)

 

 日本に帰れて嬉しいと思える人が羨ましい。

 日本に帰ろうかなと思うと、重苦しい気分になっていた。嫌なことばかり思い出してしまう。結局は自分のためにならないと分かっている。過去の記憶は自分で変えられる、と言う人たちもいる。

 

 山上容疑者の暗殺について、一つの教団に憎しみを持ったことについて、○十年前のことじゃないか、と言う人がいたけれど、私自身がずっとずっと以前の嫌な記憶から全然抜け出していないのだった。本来的に女性の方が昔の嫌な記憶から抜け出さないらしい。

 

 このブログでそれらについてちょこちょこ書いてきたと思う。日本人もいい人も悪い人もいる。

 以前に書いたのは小学校教師のイジメや人権侵害...。その小学校で大人になってタイムカプセルを開けた日、参加者たちのバッグがいくつも盜まれたこと。

 

 日本で大学生の時、不法侵入にあって、深夜目が覚めたら知らない人がいたこともあったし、関東に住んでいた社会人の友人が昼間の公園のトイレで強姦未遂に遭い、負傷してしまっていて、その傷を見た。おばが大金の入ったバッグを力づくでひったくられ、その後、バックの中の鍵を使って部屋中荒らされた。近所の人も家に泥棒に入られ…他にもたくさんetc。

 

 犯人は日本人だったかは分からない件もあるが、いずれも1990年代、2000年代の日本で身近に起こったことだった。こういう記憶は、私の場合、日本は、いい国だ、とか、日本人は素晴らしいみたいな発言からふいに引っ張り出される。

 

 殺人は悪いことだ。それなのに安倍元首相の事件で、安倍元首相の生い立ちや人生より、山上容疑者に惹かれるのは、自分の身近な人が、幼くして父親を亡くした山上容疑者の人生の方により近かったからだ。

 

 私のフランス人の夫も、夫が6歳のときに自分の父親を亡くしている。そんな中、義母は4人も子供を育てて、凄いと思う。

 

 私の祖父は父が3歳のとき病死した。父は小学生で既に働いていた。

 山上容疑者の家庭について知れば知るほど、自分の父も祖母も立派だったなあ、そして、それでも運が良かったのかもなあ、とも思うようになった。

 家族の誰か一人がケガや病気にならなかったとか、宗教団体が近づいて来たか来なかったかとか、ほんの些細なことで、ほんの些細なボタンの掛け違いで、人生は狂うことがあるのだな、と思った。

 

 母の方も、祖母が商売をしていて騙されて借金を負い、母は夜間の高校の授業料を払えないくらい貧しかった。家に借金取りが来て勉強どころではなかった。母自身が幸せに生きることができなかった苦しみを無意識かもしれないが、娘にぶつけて生きている。

 

 私は日本に帰るのに、夫と二人でのびのびと旅行できなかった。日本に行くのに全く実家に寄らず旅行が秘密ならできたかもしれないが。母の目が怖い。その意味では私の心が実家に縛られている。

 

 だから、夫と母と3人での旅行を決め、提案した。事前に、母の意向も聞いた。「なんでもいい。合わせる」と母は言った。でも夫の行きたい場所に合わせて決めて伝えると

「ビジネスホテルなんか泊まらない。私は最近いいホテルしか泊まってない」

「そこは近過ぎる。いつでも行ける」

「そこは50年前に見たからもう見たくない」(はあ、私も行ったことあるけど、夫は初めてなので見せようと思ったんですが)

 数々のダメ出しがやってきた。

 かぐや姫か?

 いじわるばあさんか?

 滅多に一緒に旅行しないからと思い、母の意向に沿って宿の変更を伝えると、「言われたことを気にし過ぎ」と私の性格否定まで降ってきた。

 

 おかげで、過去の嫌な経験を思い出し、だんだん日本に帰るのが怖くなっていった。子供の頃からおそらくずっとこんなふうだったのだ。覚えていないことも含めて。あんな場所に高い航空券を買ってなぜ私は帰らないといけないのだ?と思い始めた。

 

 おかしな話だが、日本に帰るために、私には夫が一緒にいてくれることが必要だった。夫に、びったりくっついて、夫に、依存してなら、日本に帰れる気がした。1人でフランスに帰ってくるのは、大丈夫だけれども、行きは夫なしで行ける気がしなかった。今月から日本政府が外国人の入国に寛容になった。ビザなしで入国できるのだ。

 

 言葉の分からない国に一人旅できる私なのに、おかしな話だ。

 

 どうやらトラウマがあるらしい。

 

 「毒親」というテーマの言説や書籍なども気にして読むようになった。私自身の心にも「親に認められたい」という健気な気持ちがあることに気づいた。それは早く捨てよう。

 だって、母の遠くに住んだ時点で、もう私は母のモンスターなのだ。遠くに住んだことをしょっちゅう責められている。自分を幸せにできるのは自分しかいない。

 

 最近、パリのBIOの店で財布を忘れた。滞在許可証、カード2枚、現金12000円分などが入っていた。2時間後、気づいて店に行くとお店の人がまるまる無傷で財布を返してくださった。これでフランスでは似たようなことが3回目。

 日本では財布4回なくして返って来たことは一度もない。治安がいい国かどうか、ではない。

 運だ。私はフランスでは強運の持ち主だ。日本に行く前から、フランスに帰国するその瞬間を夢見ている。

 

☆☆☆

 最近、しばらくブログを書かなかったのは、この問題と向き合うためでした。