パリ徒然草

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夫の実家、私の実家

今週のお題「わたしの実家」

 私の実家には約3年間帰っていない。帰りたいけど、新型コロナの影響で、日本とフランスの国境があることで、14日間の隔離があることで、帰れない。実家からもコロナを持ち込まれると困るから帰ってくるな、と言われてしまう。

 一方、フランス人の夫の実家は新年になって10日間の間に2回行った。

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 2回目の昨日は、特に楽しかった。会話も料理もゆったりできる雰囲気も。とても、大切な時間である。

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 日本だと、週刊誌やテレビドラマの嫁姑確執問題のイメージがあるけれど、私は夫の実家に行くのが好きだ。私はいろんなものが好きじゃないのに、夫の実家は楽しい。

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 子供の頃、私の家は本家と言われていて、伯父たちや伯母たちやいとこたちを迎える立場だった。母は、飲食店の料理人、サービス係、小間使いのように、一人で働いていて、常にピリピリしていて、そういう仕事はすべて女の仕事になっていたので、兄弟の中で、ただ一人、女である私は、母を手伝った。それが盆と正月、法事など、何度も、何度も、繰り返された。

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 男女均等法後に私が社会人になり男並みに働けと言われるようになっても、その習慣はそのままあった。実家の宴会の席では男性のようにゆったり酒を飲んだりはできず、相変わらず、サービス係で皿洗いだった。

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 特に、深夜もあまり眠ることのできない葬儀の手伝い(線香を絶やすな、という迷信があって)などは、翌日の仕事に影響し、重くのしかかった。実家から遠く離れたい一つの理由になったかもしれない。


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 一方、子供のころ、母方の実家に招かれることも、何度も、あった。そういうときは準備や片付けを手伝ったりしていないので、今、考えると、母方の実家のお嫁さんや娘たちにもっと感謝すべきだったと思う。母は兄弟姉妹が多く、何しろ、一つの家に30人くらい集まっていたのだから。

 8歳くらいだっただろうか。私が母方の実家の座布団に座っていたら、その家の私よりずっと年上のいとこに「そこ、どいて!そこ、私の場所!」と強く言われて、小さな家に、30人も集まっていたのだから場所もなく、わー、じゃあどこにいればいいの?居場所がない、と、泣きながら一人で家に帰った思い出がある。


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 今年の初め、夫の実家に行ったとき、夫と二人で椅子を片付けた。夫の実家は3階に部屋があるのだが、4つの椅子を一階にある、物置に片付けた(クリスマス前に4つの椅子を物置から運び出したのも私たちだった)。螺旋階段の横にある3人乗りのエレベーターを使って持ち運びするのだが、そのエレベーターが年代物で、通路も狭く、重いドアもあり、少し間違えれば、怪我しそうだなと思いながら慎重に行った。

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【螺旋階段】


 迎える人が全員分の椅子を準備してくれているから、迎えられる人は、ゆったりできる居場所があるのだ。

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 昨日は参加者5人全員でクリスマスのツリーを片付けた。男女関係なく、みんなでゆったり片付ける、その雰囲気も楽しかった。

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