パリ徒然草

パリでの暮らし、日本のニュース、時々旅行、アート好き

にぎやかなパリ 新型コロナウイルスの死者数に現実感なく

 11月11日、曇り。1918年11月11日休戦記念日で祭日。

 

 朝から30分ジョギング。予定よりも出発が遅くなり、結構な人が走っていた。とにかく無理しない。疲れたと思ったら歩く。人を避ける、がモットー。写真も撮らなかったので、下の写真は以前に撮影していたイメージ写真だ。(ロックダウン中は野外の写真はその日の写真でないことが多いと思う)


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 後は、家にいた。鉢植えに水やり。お香を焚く。コーヒーを飲む。読書。ネットニュースを読む。ゆっくりお風呂に入る。友達とSNSで連絡を取る。

 

 先週、友達が子供の送り迎えで私の家の近くに来たことがあったが、その学校は私の家から1.7キロメートルくらい離れていたし、友達に会うのは禁止だから会わなかった。代わりに友達にもらった靴を履いている写真を送った。

 


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 その友達にフランス語で、こんな内容のメッセージを送った。「ル•クレジオのフランス語の本をたくさん持っているが、なかなか読み進まない」。

 

 少し読んでは、辞める。背表紙だけ読んで、ネットで日本語のあらすじを読んで読んだ気持ちになる。「ル•クレジオのフランス語の文章は美しい」と友達は書いて応援してくれた。頑張ろう。

 

 新型コロナウイルスについては、全然現実感がない。一回目のロックダウンは救急車のサイレンがひっきりなしで、葬儀屋の車もアパートの前に、停まるしで、人通りも少なく、緊張感があった。新型コロナウイルスを身近にある恐怖と感じた。突然、「死」がやってくるかもしれない、と恐れた。

 

 でも今日は、ジョギングしながら、バスケットしている青年たち、スケボーの練習している子供たちの集団を見た。それぞれ10人以上の集団だ。これでは普通の祭日だ。普通過ぎて違和感があった。新型コロナウイルスの方が現実に起こっていることなのか。

 

 11月10日のフランス全土での新型コロナウイルスによる死者が1220人だそうだ。パリとイルドフランス圏で88人、パリだけで22人。

 

 夫の同僚が今日、出勤して職場のドアを開けてもらうために電話していたら、その瞬間、携帯電話を力ずくで盗られて警察に届けた、と話した。犯罪には注意しないといけない。

 

 午後8時過ぎ、夕食の後寛いでいると、ノックする音。同じ階に引っ越して来たばかりの若い男の子で、ワインのコルク抜きを貸してくれ、と言われたので貸した。もしかして、ワインのコルク抜きも、ロックダウン中にスーパーで売ってはいけない物なのかも? 

 

今週のお題「最近見た映画」 「サンバ」(2014年仏)は移民の問題も、燃え尽き症候群も、他人事と思えず 

 「サンバ」は2014年フランス映画。「最強のふたり」(11年)で売れっ子になった俳優オマール・シーが、フランスのアフリカ系不法移民サンバを演じる。女優シャルロット・ゲンズブール扮するキャリアウーマン、アリスは、働き過ぎて「燃え尽き症候群」で精神不安定。そんな二人の恋模様は? 

 不法移民と燃え尽き症候群、どちらもフランスの現代を写す決して軽くない社会的なテーマ。途中の展開はあくまで陽気でコメディ風だが、ラストに待ち受ける複雑な結末。考えさせられた。


 フランスに来て10年。ビザのうっかり失効のために突如、国外退去を命じられた青年サンバ。燃え尽き症候群に陥り休職中に移民支援協会でボランティアしているアリス、そして面倒見のいい陽気な移民仲間ウィルソンなどわけありの面々が登場する。


 滞在許可証で並ぶシーン、あー、ここ私もどこか知っている、私も並んだーという意味で他人事と思えない。不法移民も、燃え尽き症候群も、他人事ごとと思えない。バーンアウトした後、癒やしてくれるのは、精神科医でも、薬でもなく、人なのだと感じる数々のシーンは悪くない。


 深夜の警備員、ゴミの仕分けや高層ビルの窓清掃など。サンバの日雇いの仕事のシーンがコメディタッチでドタバタ劇風に描かれる。ラテン系移民のウィルソンが加わってからは、高層ビルの清掃用のゴンドラの中から踊りを披露し、ガラス越しに女性社員たちが大盛況になり、明るいノリ。建設現場で塗装の仕事をしていると、不法滞在取締りの警察がやって来てサンバとウィルソンはパリの屋根の上で逃走劇を繰り広げる。

 現実はもっと暗く厳しい、と知っている。パリの図書館で、不法移民の真のドキュメンタリーを見たこともあるので知っている。リアリズムがないという批評はその通りだが、寧ろ、重くなるテーマを敢えて、明るいコメディタッチで描き、人気俳優を出演させて、エンターテイメントとしても、成り立たせていることを評価したい。

 ウィルソンも本当は偽造した滞在許可証で暮らしており、本当はアラブ系だった。少しでも職業斡旋所の印象がいいようにラテン系移民を装っているだけだった。どの国や地域にも、ステレオタイプに人を見るということ、あるんだな、と考えさせられる。


 ラストの結末は映画「太陽がいっぱい」の主人公が他人になりすましたことに似ている。他人の滞在許可証を使う。明らかに犯罪である。それでも、サンバの笑顔、サンバがそこにいるということ、サンバの存在感に勝てない。一枚の滞在許可証は、サンバの存在感に負けている。

 
 恋愛ものというよりは、仕事のシーンが多い。自分の出身を偽らないとまともな仕事にありつけない移民たち。一方で、アリスは男性社会で管理職として働いていることが分かるシーンがあり、燃え尽き症候群になったということはやっぱりどこかで自分を偽って生きているのでは?と考えた。
(23時からテレビでロックダウン中のパリで鑑賞)

柿と鯖の味噌煮で、日本への旅

 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

 

 柿を食べながら、私は言った。正岡子規の俳句だ。柿はフランスでもKAKIという名で売られている。パリで売っている柿を食べながら、なぜか、夕焼けのオレンジ色の中に法隆寺五重塔が目に浮かんだ。

 

 最近、鯖を魚屋で3回買った。一回目はシメざば、2回目は、鯖とブロッコリーのパスタ、3回目は鯖の味噌煮。鯖が脂がノッて美味しい。


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【パリの魚屋。日本と同じ魚もある】

 

 今日の献立は、鯖の味噌煮、キュウリやトマト、ハム、スパゲッティ、コーンのマヨネーズ和えサラダ、湯豆腐、ご飯。ここまでしっかり和食にすると、日本に帰省したような気持ちになれた。

 

 フランスという外国に住んで、フランス人との会話で、自分の中の“日本“とは何か、と自問自答する機会に恵まれた。最初のころ自分の故郷が“日本”だとは思えなかった。フランス人に日本人の代表のように取り扱われて、しばしばイラッとした。このイラッとするという経験もまた「他者との出会い」なのだろう。

 

 自分の故郷が日本と思えない、の意味だが、私の故郷は、もっと小さな世界、生まれ育った家の周りの草木や、方言、会ってともに過ごした人たちとの記憶、地域独特の細かい風習や家族の習慣によって形作られている気がしていた。

 

 私自身が日本を知らなさすぎるし、外国人が褒め称える日本の代表的なものが行ったことのない場所だったり、自分は使ったことがないメーカーだったりした。例えば、平泉や伊勢神宮やARAIのヘルメットをどんなに褒められても、語られても、行ったことも、使ったこともなかった。

 

 伊勢神宮に今行ったとして、日本に帰省したと感じることができるだろうか。少なくとも、行く前の感覚は帰る、というより、知らない場所に行く感じだ。

 

 法隆寺は、一度か二度行ったことがある。今ではルーヴル宮殿よりも馴染みがない、どんな形だったか詳細に思い出せないほど、遠い記憶の中にある。

 

 それでも、柿を買う瞬間、柿を食べる瞬間、その俳句を思い出した。そして故郷に帰ったような気持ちになった。

 


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再ロックダウン10日目 鬱への対処は朝のジョギング

 再ロックダウン1日目には「落ち着いている」だとか、「根拠のない希望を感じている」ーと、書いた私だが、刺激のない日々に、少し鬱っぽくなってきた。だんだん寒くなる。だんだん暗くなる時間が早くなる。そういう時期のパリでもある。


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 警官は数台の車とともにたくさん見る日もあれば、そうでない日もあるが、出かけると、1キロメートル過ぎると買い物でも気になる。現実的には、家から1キロメートル圏内で相当贅沢な食材が調達できる。南フランスの海のそばにいたときとはかけ離れた食材の豊富さがある。警察官にもし質問されたら、どう説明しよう、と思ってしまう。

 

 出かける前に、外出証明書、マスクを忘れていないか、確認。。。この、自由でない感じがストレスだ。

 

 アジア人を襲おうとネットで呼びかけていると聞けば、通りやお店でニーハオとしばしば話しかけられるのも怖い。

 

 この状態を私は軟禁状態と呼んでいる。

 

 GIFIという生活用品のお店に3回行ったが閉まっていた。せっかくプラスチックの大きな収納箱を長さを測ってこの商品を買おうと決めたのに。

 他の買い物して最後に買おうと思っていたら、1回目来店時は開いていたのに、2回目の来店時、午後4時前に閉まってしまった。翌日朝早く行ってもまた閉まっていた。その翌日も閉まっていた。運が悪い。

 

 後で、ネットニュースを見たら、数日前にパリ近郊オーべービリエのGIFIで、“非必需品”を売らないことでトラブルになり、客が店員に暴力を振るっていた。そのことが影響して全店閉店したのかもしれない。

 

 私が最初に店に行ったときも、収納箱は売るけど、調理器具は“非必需品“なので予約しないと、買えないーということだった。確かにその線引き、理解不能だ。だからといって、暴力は許されない。


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 乾電池を捨てるためスーパーに持っていったら日曜日は捨てられない、と言われ、捨てることができなかった。万事こんな感じの日々だ。

 

 花屋は先週日曜日までの営業らしい、大量の花を捨てている、と聞いたのに、売っている店が何軒かある。窓口があってclick and correctといわれるフランス政府が推奨するシステムをきちんと守っている店もあるが、予約せずその場で選んで大量に買っている人を見かけた。まだ20日あるロックダウン中に花は心を安らげてくれるし、売ってくれるなら、と私も鉢植えを2つ買った。

 

 フランスの新聞ル•パリジャンのサイトによると、フランス経済相は、「花や本などの“非必需品“についてネットか電話で予約して引き取りに行くclick and correctはOKだが、直接交渉して買うのはNGだ」と言っている。ウインドー越しに見える商品を指差してその場で決めて買うのも、本来的には、駄目のようだ。

 

 土曜日午後、スーパーや公園、市場にいつもの3倍くらいの人が集中しているのを見た。新型コロナウイルスの蔓延という観点から怖いものがある。風邪の流行もそうだが、人ごみに行けば、かかりやすいものだ。

 

 数少ない"娯楽"施設に、人々が集中する。この状態を見ていると、パリから脱出してくれた人たちがいて助かったと思う。

 

 私は人が多い場所には、近づかない努力をしている。そのために料理の味が多少落ちたり、料理が一品減っても、今日は公園行けなくてもいいではないか。せめてそういう努力はしよう。自分を守るためでもある。

 

 今回のコンフィニモンは前回3月からのコンフィニモンに比べると、公園では、たくさんの子供たちが遊んでいたり、通りにも人が多く、開いているお店も多いので、それだけ見れば、あまり通常と変わらないように思うかもしれない。

 

 だが、3月から普段のストレスに加え、新型コロナウイルス自体への恐怖というストレス、新型コロナウイルスによる政府の措置の変化への対応というストレス、不平等感…簡単にキレてしまう人は多いと思っていた方がいい。

 

 自分の鬱への対処法を考えた。

 朝のジョギングだ。

 今こそ、ジョギングである。

 日曜日午前9時に走ってみた。他にも走っている人がいる。でも前回のコンフィヌモン中、パリで午前10時まで午後7時以降などと時間制限があった頃に比べれば、3割程度の人しか、いない。人がバラけるからいいのだ。


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 自分のペースで走ることができた。もう少し早い時間に走るともっといいかもしれない。ジョギングしている人にマスクしている人はいない。だから私もマスクはしない。ジョギングにマスクは前も良く見えず危険だ。 

 息ができる。口に風が当たる。口に太陽の光が当たる。当たり前のことに喜びを感じる。今日から毎日走ろう。

 

参照記事

https://www.leparisien.fr/economie/consommation/click-and-collect-bercy-tape-du-poing-sur-la-table-06-11-2020-8407057.php

 

 

分かっていても辞められない フランス菓子の美味しさ 

 子供のころも、大人になっても、おやつが大好きだ。太るなど全く気にせず、家に常備おやつがある。

 

 子供のころは、お小遣いからバターやクリームチーズ生クリームを買って、パウンドケーキの型や星型の絞り袋の留金などのお菓子の道具を買って、ヨーロッパのお菓子作りのレシピ本を買って、自分でお菓子を作った。

 

 子供のころ良く作ったカトル•カール。カトル•カールがフランス語ということもお菓子のレシピ本で小学生の頃に知った。

 

 ケーキやクッキーが焼き上がるときの甘いバターの香り。家族が喜んで私が作ったものを顔をほころばせて頬張っている。作った私が幸せに包まれる。

 

 今は、バターの国、フランスに住んでいる。オーブンも持っている。それなのに、子供の頃のような情熱でお菓子を作ることは少ない。食べすぎが怖いのだ。

 

 ときどき、日本のコンビニで売っている、お一人様用のベイクドチーズケーキやロールケーキ、アイスクリームが懐かしい。少量を手軽に買えるところが、いい。日本に帰ったら必ず買って食べてしまう。

 

 でも、フランスも負けてはいない。カトル•カールやガレットなどの焼き菓子はスーパーで買っても結構美味しい。バターがきちんと入っている味がする。チョコレートもスーパーで買う物でもカカオの香りがして美味しい。

 

 フランスはチーズの国なのに以前は、日本ほどチーズケーキが売っていなかったので、しばしば作っていたが、最近は、国際化の影響か、チーズケーキ専門店がパリに現れるなど、チーズケーキも少しずつポピュラーになりつつある。

 

 カトル•カールも、チーズケーキも買えばいいと思ってしまう。

 

 

 二度目のコンフィニモンは、3月のコンフィニモンよりもお菓子屋さんがたくさん営業している。ウィンドーもお洒落で、お菓子の形も可愛らしく美しく、使っている材料も凝っていて、見るだけでも、うきうきする。嬉しい限りだが、他に楽しみも少ないので、ついつい買いすぎる。


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 “祝祭“を奪われ、さまざまな自由を奪われ、無意識に甘い物を食べることで、ストレスを解消しようとするのか、甘い蜜に吸い寄せらるように、ふらふらとお菓子屋さんに近づいてしまう。

 


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 今年3月頃の自分の写真を見返すと、結構、お菓子を作っていた。前回のコンフィヌモンは、パン屋さんは、開いていても多くの菓子専門店は閉まっていた。今回の再コンフィヌモンでも、最初は、お菓子を自分で作ろうと思ったが、あまりにもたくさん魅力的なフランス菓子が気軽に買えるので、お菓子を作る意欲が薄れてきた。


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 それに、今は、お菓子屋さんで買う方が世のため、人のため、そして自分のため、ではないか? 1回で買えるお菓子屋さんで買う方が、一つのお菓子を作るのに、5種類の材料を探してあちこち彷徨うよりも、新型コロナウイルスを避けるのに役立つとも思う。

 

 パリから田舎に移動した住人も多く観光客もほぼいない中、お菓子屋さんの経営だって厳しいはずだ。お菓子屋さんが混雑しているのを見たことがない。今日も、スーパーや公園は大混雑で、新型コロナウイルスの蔓延が心配になるほどだったが...

 

 そんなふうに自分に言い訳しつつ、買ったお菓子を頬張る。


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 お菓子は、ある意味、“麻薬“だ。白い砂糖は、からだに凄く悪い物質で、タバコやアルコールなどと同じように依存性があり、癌やアルツハイマー症などになる可能性が高まるから食べすぎるな、とYouTubeで誰かが言ってた。本当だろう。でも、分かってても辞められない。


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私のもう一つのブログ「一日一甘」

https://clairefr.hatenablog.jp/entry/2020/10/16/215000

 

修復中のノートルダム寺院の前を通った

 火災による損傷から修復中のノートルダム寺院前を10月に通りました。ノートルダム寺院は、セーヌ川の中洲シテ島に建っています。


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 2019年4月15日夜(現地時間)に大規模火災が発生し尖塔などを焼失しました。私がそこを通った10月のその日、修復工事で堂内に入ることはできませんが、大聖堂が立つ広場から地下に下りる遺跡「クリプト」は見学できました。


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 工事中のため障壁が巡らされていて、ノートルダム寺院ファサードには近づけませんが、その壁には、ファサードについての解説のほか、子供たちが描いたノートルダム寺院の絵がプリントされていました。火災から半年後に、大司教が子供たちに呼びかけて描いてもらったものだそうです。


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温かい色で素敵な絵でした。


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 本日、フランス2のニュースでこの工事の進捗状況について報道されました。火災時ノートルダム寺院は工事中だったので、倒壊した尖塔の周りには足場があり、その足場が火災によって滅茶苦茶な状態で残っていたのですが、その足場の部分を取り除く作業はほぼ終わったようです。時間はかかるし、困難を極めますが、工事は着々と進んでいるようでした。


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 この毎日新聞のサイトでは今年4月に火災から一年目に、ノートルダム寺院で復活祭前の祈りを捧げたときの映像が見れます。

https://mainichi.jp/articles/20200411/k00/00m/030/086000c

自由、平等、友愛とは? もともとフリーメイソンの標語

 フランスのスーパーの服、下着、靴下、お皿やフキンなどのキッチン用品、アロマキャンドル、書籍などの売り場にテープが巻かれ売らないようになっていた。


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 狭い部屋を片付けるために近くの雑貨屋にプラスチックの収納箱と調理器具のざるを買いに行ったら店にシャッターが降りていた。

 

 市場の花屋もビニールシートが被され花が見えなくなった。中には、窓口があり電話番号が書かれ、注文の手渡しだけが可能な花屋さんもあるようだ。

 

 新型コロナウイルスの蔓延で昨日からは“生活必需品”以外は店舗で気軽に買えなくなった。悲しい。

 

 今、一般市民の「自由」はますます脅かされていると、私は感じる。

 

 夫に質問した。

「学校などフランスの国の建物によく『自由、平等、友愛(Liberté, Égalité, Fraternité )』って書いてあるよね。フランス共和国の標語よね。

 そもそも自由と平等は矛盾すると思う。生まれたとき、貧乏な家庭に生まれる者、裕福な家庭に生まれる者、身体能力の高い人、低い人、美しい者、醜い者、才能のある者、才能のない者、頭脳明晰な人、そうじゃない人。平等ではない。

 それを平等にしようとすると、不自由な人が、出てくる。小売店が営業できないならスーパーも非必需品を売らない平等にしよう、というのに似て、頭脳明晰な人も理解力の悪い人に合わせた教育しか受けられなくなる。足の早い人は遅い人に合わせて走らないといけない。学校ではどう習ったの? 」

 

 明確な答えは得られなかった。「政治的なもので、努力目標だろう」と夫は言った。自分で調べた。今では、ウィキペディア先生が答えてくれる。便利な時代になった。ウイキペディア先生ありがとう。


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フリーメイソンの旗にも『自由、平等、友愛(Liberté, Égalité, Fraternité )』、パリのフリーメイソン博物館】

 

 私の理解を要約すると、

 

 ☆自由とは、他者に害をなさぬあらゆることを行うことができる権利である。

 

 ☆平等とは、法の下での平等である。

 

 ☆友愛とは、他者に対する義務であり、倫理的なスローガンである。

 

 確かにこれなら矛盾しない。良い考えだ。きっと私も夫も小学生か中学生のころ習ったのに、忘れたのだろう。

 

 「自由、平等、友愛」の起源はフランス革命に遡る。この標語は、秘密結社フリーメイソンで生まれた。

 

フリーメイソンフランス革命に大きな政治的役割を果たしたってフランス人は、みんな知ってるの?」「うん、ロベスピエールフリーメイソンだったんだ」と、ことも無げに夫は言った。それはフランス人にとっては、常識だという感じだ。


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【パリのフリーメイソン博物館の展示物。ここにも自由、平等、友愛(Liberté, Égalité, Fraternité )の文字】

 

 日本ではフリーメイソンは、都市伝説ネタで有名な芸人さん、関暁夫さんの出てきそうなバラエティー番組で、オカルト的に語られる秘密結社だけど、歴史的な事実だった。私は日本の学校で世界史を習ったこともなく、知らないことばかり。

 

 ウイキペディアによると、「法の精神」で知られるシャルル・ド・モンテスキューも、啓蒙主義を代表する哲学者、ヴォルテールフリーメイソンリーだった。作家のスタンダールも、音楽家モーツァルトも、フリーメイソンリーだった。作家のヴィクトル ユーゴーもメイソンリーだったという説がある。

 フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を作詞作曲したクロード・ジョゼフ・ルージェ・ド・リールもフリーメイソンリーだった。

 

 エッフェル塔を建設したギュスターヴ•エッフェルや自由の女神像を作った彫刻家、フレデリック•バルトルディもフリーメイソンリーだそうだ。

 

 ニューヨークの自由の女神像はフランス系フリーメイソンリーアメリカ系フリーメイソンリーの間に交わされた贈り物だという。

 

 パリのグルネル橋やリュクサンブール公園などで、ニューヨークのものよりは小型の自由の女神像を見かける。


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【パリのレプリカの自由の女神像

 

 一方で、パリのフリーメイソンの博物館には、こんな版画もあった。


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 骸骨はあるし、首吊りのようにも見えるし、怪しげだ。その横にイニシエーション(入会や昇格の儀式)についての説明があった。死と再生の儀式。こうした儀式が集団の結束を高めるのだろう。

 

 フリーメイソンの言う「友愛」とは、こうしたイニシエーションを経た者同士の「友愛」ということなのだろう。 

 

 フリーメイソンは、政教分離を進めた団体としても知られているが、博物館の横に儀式の部屋があり、その装飾の中に「プロビデンスの目」があって、じっと見つめられているようで怖かった。プロビデンスの目は「神の全能の目」を表し、フランスの人権宣言の版画やアメリカのドル紙幣のデザインにも使われている。


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【パリのフリーメイソン博物館の展示物。プロビデンスの目もある】


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フリーメイソンの儀式の部屋】

 

 「プロビデンスの目とは、コンピュータなのです」と講演家で作家の宇野正美さんは、言っていた。巨大なコンピュータが私たちを監視している、と。

 

 今や私が信奉しているものは、確かにコンピュータである。さっき、私が「ウイキペディア先生」と書いたように。今日の日記もウイキペディアを参考に書いたのだ。

 

 最近のニュースは、いずれ現金も小銭も消え、コンピュータ上で、お金のやり取りをするようになるだろう、と伝えている。

 

 お皿も、フキンも、花も生活必需品じゃない。でも、コンピュータは必需品だ。

 

 そして、必需品となったコンピュータに私は監視されていると感じる。コンピュータ上でネット上で、何かしている限りにおいて、すべて知られていると考えておいた方が良い。監視されていると考えておいた方が良い。

 

 現在、新型コロナウイルスによってコンピュータに知られることなしに何かをする自由はますます減っている。

 

 生活必需品ではないものが文化であり、人間性の回復に役立つものだと私は思う。獣と人間を分けるものだと私は思う。

 

 今、ある物で構わない、監視されていない自由を満喫しよう、と私は思った。時間があるなら無駄なことを楽しもう。

紙に、文字や絵をかこう。

好きな服を着よう。

きれいなお皿に盛ろう。

スマホで写真は撮らない。自分だけの楽しみだ。

アメリカ大統領選挙ばかり気にしてスマホやテレビばかり見るのは辞めよう。

夫は、「しまった、こないだ捨てたからジョギング用の靴がない」と言いながら、革靴でジョギングに走り出した。

 

【参考にしたウィキペディアの項目】

自由、平等、友愛

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%80%81%E5%B9%B3%E7%AD%89%E3%80%81%E5%8F%8B%E6%84%9B

フリーメーソン

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3

プロビデンスの目

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%93%E3%83%87%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%9B%AE

自由の女神像

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%AE%E5%A5%B3%E7%A5%9E%E5%83%8F