柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
柿を食べながら、私は言った。正岡子規の俳句だ。柿はフランスでもKAKIという名で売られている。パリで売っている柿を食べながら、なぜか、夕焼けのオレンジ色の中に法隆寺の五重塔が目に浮かんだ。
最近、鯖を魚屋で3回買った。一回目はシメざば、2回目は、鯖とブロッコリーのパスタ、3回目は鯖の味噌煮。鯖が脂がノッて美味しい。
【パリの魚屋。日本と同じ魚もある】
今日の献立は、鯖の味噌煮、キュウリやトマト、ハム、スパゲッティ、コーンのマヨネーズ和えサラダ、湯豆腐、ご飯。ここまでしっかり和食にすると、日本に帰省したような気持ちになれた。
フランスという外国に住んで、フランス人との会話で、自分の中の“日本“とは何か、と自問自答する機会に恵まれた。最初のころ自分の故郷が“日本”だとは思えなかった。フランス人に日本人の代表のように取り扱われて、しばしばイラッとした。このイラッとするという経験もまた「他者との出会い」なのだろう。
自分の故郷が日本と思えない、の意味だが、私の故郷は、もっと小さな世界、生まれ育った家の周りの草木や、方言、会ってともに過ごした人たちとの記憶、地域独特の細かい風習や家族の習慣によって形作られている気がしていた。
私自身が日本を知らなさすぎるし、外国人が褒め称える日本の代表的なものが行ったことのない場所だったり、自分は使ったことがないメーカーだったりした。例えば、平泉や伊勢神宮やARAIのヘルメットをどんなに褒められても、語られても、行ったことも、使ったこともなかった。
伊勢神宮に今行ったとして、日本に帰省したと感じることができるだろうか。少なくとも、行く前の感覚は帰る、というより、知らない場所に行く感じだ。
法隆寺は、一度か二度行ったことがある。今ではルーヴル宮殿よりも馴染みがない、どんな形だったか詳細に思い出せないほど、遠い記憶の中にある。
それでも、柿を買う瞬間、柿を食べる瞬間、その俳句を思い出した。そして故郷に帰ったような気持ちになった。