パリ徒然草

パリでの暮らし、日本のニュース、時々旅行、アート好き

再ロックダウン一日目

 再ロックダウン、フランス語で言うと、再コンフィヌモン(外出禁止令)が始まった。

 

 基本的に前回のコンフィヌモンとほぼ同じように、食料品の買い出し、自宅と職場間の通勤、子供の学校への送り迎え、最大1時間で1キロ以内の散歩、運動等は認められる。 

 

 そして、以前よりは開いているお店が多い印象。再コンフィヌモン前に、暖房器具を買いに走ったのに電器店は開いているようだ。

 

 いくつかの洋服屋さんから店舗は閉めるというメールをいただいた。既に経営が厳しかったので、先行きが心配になる。

 

 本やCD、DVDも売っているfnacがパソコン機器も売っているので一端は営業することになったが、他の書店は営業できないので、書店等から批判が起きて、結局はパソコン機器だけ販売することになったと聞いた。近くの店が閉まって、遠くまで買いにいかないといけないのは本末転倒だと怒っている人もいた。生活必需品の線引きが難しい。

 

 花屋は来週月曜日まで営業して後は閉まるらしい。

 

 午後4時頃1時間だけ出かけた。証明書には「健康のための1時間ない1キロ圏内の運動」に丸をしたが、これから必要になる外出証明書の紙を何枚かコピーするためコピー屋さんに寄って、少し離れたパン屋さんに散歩がてら行ったら、あっと言う間に1時間がすぎ、最後は、走るようにして帰った。公園は開いているという話だったが、1つの公園は開いていて2つの公園は、閉まっていた。公園によるようだ。


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 私自身は3月17日の初めてのコンフィヌモン開始時に比べて気分的にゆったりしている。

 

 初めてのときは皆マスクも付けてないし、スーパーに買い物客は殺到しトイレットペーパーとパスタが売り切れるしで、皆殺気立っていた。新型コロナウイルスがどのくらい恐いウイルスかも分かっていなかった。

 

 今回はスーパーに買い物客は殺到していないし、パスタも売り切れていない。

 

 このブログを始めた、すなわちコンフィヌモンが始まった3月17日の日記を読み返した。

 

ヘミングウェイは、パリを移動祝祭日だ、と言った。コロナウイルスはパリから『祝祭』を奪った。デパート、美術館、オペラ、カフェの賑わい、華やかで美しい夢のような日々を根こそぎ、泡沫(うたかた)であったかのように奪い去った。

 移動祝祭日を奪われても、この街に希望を与えるもの。それは、ルソーやサルトルを生んだ哲学だろうか。あるいは、ビクトル•ユーゴーカミュの文学だろうか。それとも、『人権』という概念だろうか」と私は書いていた。

 

 他の人々が何に希望を抱いているか、それは人それぞれだろう。でも、私は3月17日よりも、ずっと、私自身に、人類に希望を抱いている。根拠のない自信のようなものだ。哲学でも文学でも思想のおかげでもなくて、こう思えるようになったのは、私自身の心がけによるものような気がする。

 

 新型コロナウイルスでロックダウンになって以降、この7ヶ月以上、心がけたこと。毎日書くこと、時間があればできるだけ好きなことをすること、自分自身を大事にすること、自分が喜ぶことをすること。自分が落ち込むようなこと、負担になるようなことからはできるだけ遠ざかること。今を楽しむこと。人生は終わりまで続く学びの機会だと感謝を持つよう心がけること。太陽の光や植物など自然に感謝すること。自分の感情を大事にすること。自分の時間を大切にすること。からだを冷さないこと。喉が痛いときはすぐ葛根湯を飲むこと。

 

 そして、ある時期から、テレビや新聞などの既存のメディアに触れる時間を極力減らした。例えば、新型コロナウイルスやロックダウンの効果についていくら調べても、(そして専門家の意見もさまざまなのだが)政治家でも専門家でもないので、結局は今いる場所の政治家の決断に従うしかないのだ。

 

 大事なニュースだと思っても、自分の気分が暗くなるニュースは読まないようになった。

 

 そして、一番大事なのはそういう自分でさえ自分で認めてあげること。誰も自分の世話はしてくれない。自分を一番可愛がってあげるべき人は自分自身である。大人だからこそ、誰も世話してくれないのだ。

 

 そういうわけで、今日は、ラジオ体操し、薄紫色のセーターに黒に花柄のスカートでお洒落し、台所のタイルを張り、朝昼晩、食事を準備し、片付けて、あー、とても良い1日だったなと心から思える。