再ロックダウン中2日目のパリで見ました。邦題は「パリの灯は遠く」。ユダヤ人に間違えられた男を巡る不条理劇。1976年、フランス、イタリア合作映画。
再ロックダウン中、アジア人差別で襲われるかもという怖い情報も流れる中、なぜこの映画をなぜ見てしまったんだーと後悔するくらい、逃げ出したくなるくらい怖かったです。あまりに怖かったので、感想書くのが遅くなりました。怖いというのは心理的な怖さなんですけどねー。
1942年、ナチス占領下のフランス・パリ。アラン・ドロン扮する美術商のロベール・クラインは、ユダヤ人がやむを得ず手放した先祖伝来の美術品を安く買い叩いて儲けた金で優雅な暮らしを送っていた。
そんなある日、彼の住むアパートに1通の郵便物が届けられた。それは、ユダヤ人同志が情報交換のために密かに使用している“ユダヤ通信”と呼ばれるものであった。何故フランス人である自分のもとにそんなものが届いたのか、ロベールは不安と焦燥にかられる。
ロベールは身の潔白を証明するため探し回り、その過程で自分と同姓同名のユダヤ人がいることを知る。例の“ユダヤ通信”は、彼と誤ってロベールのもとに届けられたものだった。ゲシュタポやパリ市警がユダヤ人に監視の目を光らせる中、あらぬ疑いを掛けられかねない。
ある日、ロベールの元に、もう一人のロベールに宛てられた手紙が届き、差出人の元へと訪れたロベールは、そこでジャンヌ・モロー扮するフロレンスと出会う。
ロベールはもう一人のロベールを探し冬のパリを彷徨い続ける。次第に彼は常軌を逸し始める。自分の身に危険が迫っていながら、同姓同名のユダヤ人、ロベールに会うことに執着し始める。パリ市警はユダヤ人強制連行の準備を着々と進めている。
性別、国籍、人種といったアイデンティティは全く曖昧だ。自分が何者なのかだんだんと分からなくなっていくロベール。見ている私も不安になる。
一方で、自らを「善良なフランス市民」であると信じて疑わないロベールは、ユダヤ人への迫害を知りながらも全くそれを問題にしていない。自分が迫害される立場に置かれることもあるかもしれない、という想像力が欠如したまま、もう一人の自分自身を追い求めることに固執する。
そもそもユダヤ人迫害の歴史が恐ろしい。ロベールの想像力の欠如も恐ろしい。そして「人違いで収容される」不条理さ。元気があるときに見ましょう。
【ウィキペディアによるこの映画の説明】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E3%81%AE%E7%81%AF%E3%81%AF%E9%81%A0%E3%81%8F