パリ徒然草

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祝祭を失ったパリのパリジェンヌ

応募キーワード「#この1年の変化

 

 

 3月17日にフランスはいきなりロックダウンになった。

 

 日本の新型コロナの報道をある程度知っていた私は、誰もマスクしていなくても、既にマスクしていた。そんな私にとって、新型コロナよりも、いきなりのロックダウンは、空恐ろしいことに思えた。

 

 権力によって急に何かが変わり、自分自身が右往左往するという目に遭った。毎晩テレビにかじりつき、政府の発表を今か今かと待ち、明日の予定をそれによって決めた。買っていた列車の切符をキャンセルし、SNCFの窓口で払い戻しを受けた、政府の政策によって。

 新型コロナそのものの恐れ以前に、権力への恐れがあった。ファシズム台頭への恐れとも言おうか。自分がテレビから流れるビッグブラザーの声に従うジョージ・オーウェルの小説「1984」の世界の住人になった気がした。

 

 ブログを書き始めた

 

 だから、私は昨年3月17日から毎日、このブログを書くことにした。マクロン大統領のテレビ演説のおかげで書き始めたとも言える。一年前から毎日書き始めた。「新型コロナが世界を変えた」というタイトルで。

 

 書くようになると、情報を集める立場にもなった。

 

 自分の心の声を聴く 

 

 そうした中で、いろんな情報が流れ始めた。テレビをあまり見ていなかったのだが、テレビ、新聞、雑誌、You Tubeいろんなものに触れるようになった。学者や医者でも「コロナはただの風邪」という人も今でもいるし、WHOも去年3月ごろまではマスクには意味がない、と言っていた。

 

 何が正しいのかも曖昧になり、人に恐れを抱かせる情報も多い。受け取る情報も人によって違い、どの情報を信じるかも人によって違い、それはときに友人との軋轢を引き起こした。

 

 最初は、マスコミ情報を追いかけるようにもなった。途中からできるだけマスコミ情報から距離を置く時間を作るようになった。

 

 最終的には、自分の心に聴くようにしている。誰が発しているかではなく、なぜこういう情報が出ているのか、についても考える。自分の勘も、そして自分の願いも大切にしている。

 

 

 好みがはっきりし始めた

 自分の好みや大事にしたいものがはっきりし始めた。

 

 自然との触れ合いが大事であること。

 お風呂が好きなこと。

 争いや暴力が嫌いであること。

 

 

 祝祭を失ったパリ

  

 パリは祝祭を失った。街から観光客が消え、バーもデパートもレストランも、映画館もカフェも、閉まってしまった。午後6時には夜間外出禁止令発令だ。ヘミングウェイが「移動祝祭日」と言ったパリは、ヘミングウェイがそのタイトルの本で書いた世界を失った。


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ヘミングウェイが住んでいたアパート】

 

 歩行者はマスクを付けて歩いている。今でも、パリの街の歩行者が全員マスクを付けていることに、SFの世界のようだ、と現実感がないことがある。夫はマスクをしていない歩行者に怒っているけれど、私はそれを見て少しホッとしている。

 

 

 フランスでは去年10月からレストランが閉まり続けている。前年の自分の誕生日はレストランでサービスしてくれる人がいた。新型コロナ後の自分の誕生日は、自分でシャンパンや材料を買って、自分で料理して、ふ~。せめてたまには誰かにサービスされたい。サービスをお金で簡単に買えるということは素晴らしいことだったんだなあ、と思い知った。

 

 

 既に以前に、比べて、いろんな自由を奪われている。せめて自由にしていい部分は自由でいようではないか。

 

 わがままになったかもしれない。自分に正直に、自分にそして今を一瞬一瞬を大切に生きよう。自由を失った分、自分で選択できる部分だけでも、自分の心の声に従おう。自分の堪に、直感に、従おう。自分が心穏やかに、好奇心に溢れ、元気に、今この瞬間を生きられることを大事にしよう。自分自身を信じるのだ。

 

 夫に尋ねた。

「この1年で私、何か変わった?」

「そりゃあ、変わったよ」

「どう変わった?」

「パリジェンヌになった」

 

 それは褒め言葉なのかー。悩むところだ。


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