パリ東駅で新型コロナウイルスの規制に反対するフラッシュ・モブのダンス
この動画を見てほしい。いずれも今月8日に同じ時間、場所で撮影したものだ。動画を見ながら心動かされた。胸が熱くなった。フラッシュ・モブとは、公共の場に集まり前触れなく突如として行うゲリラパフォーマンスである。
何度か書いているが、フランスは、ロックダウン中で、レストランや文化施設は昨年10月末から閉まり続けている。パリは、3月20日からは、洋品店などの生活非必需品のお店は閉まり、10キロメートル圏内を超えると外出証明書が必要で、罰金135ユーロである。
そんな中、高給レストランの闇営業の摘発のニュース、9区のパリの教会の復活祭のミサでマスクをしていなかったニュースなどが聞こえてきた。
きちんと守っている人たちは、怒っているーなどと、報道されていたりするけど、まあ、もっと、軽い気持ちで、いようよ。お金持ちなら、罰金135ユーロくらい払う、という人もいるだろう。フランス政府に、払ってもらおう。
2週間ほど前に、郊外在住の女友達(国籍はフランス)にパリの公園で会ったのだが、久しぶりに会ったというのに、友達は、テレビのニュースで見た南仏マルセイユのデモについて語り、マスクをしてないと怒っていた。マルセイユ遠いよね、私の家の近くでもマスクせず路上で話している集団はいるよ、私は、特に、マルセイユのデモに怒ってない、と言っておいた。
ブログを読み返していたら、その、同じ友達が、去年3月に、マスクをしていた私に、「マスクは有害だとフランス政府が言っている」と権威を振りかざして、マスクするな、と言っていた。
何が正しいのか、分からない世界にいるのだ。
2日前の日曜日、パリの広場で3つのデモがあって騒音が凄かった。参加者は少ないのだが、闘牛に反対するデモの狂わんばかりの大声が一時間に渡って鳴り響いていた。80〜90デシベルくらいあったのではないか。頭が痛くなった。
なぜ闘牛に対してここまで怒れるのか、凄いエネルギーだと思った。私には、そこまで反対と叫び続ける理由が分からなかった。自分が闘牛に行かなきゃいいそれだけでは? 近くに闘牛場もない。耳を塞いで足早に立ち去った。
一方で、私は、冒頭の動画は、美しい、楽しい、と思う。自由を求めるのは、皆と踊りたいと思うのは、古来からの自然な人間の行動だと思う。人類はそうしてきたのだ。歌詞は「ダンスし続けたい」と、政府の新型コロナウイルスの規制にノーを言い、自由を求めている。その気持ちには賛同する。
夫に動画を見せたら、居合わせたら一緒に踊りそうだね、と言われた。そうだ、踊れるように一人で、練習していよう。
そろそろ、テレビや新聞で報道されていることがすべてでは無い事に気づいてもいいのでは、ないだろうか? 少なくとも、このダンスのYou Tube動画にはたくさんの称賛の意見が寄せられ、マイナス意見は少数なのである。
前述の女友達ですら私にフランス政府の矛盾は一切批判せず、権威を押し付け続ける彼女ですら、一方では、ワクチンだけは絶対、打たない、と言い切っている。他にも、最近、お会いした日仏の家族の奥さんが、ワクチンは打たないし、子供にも、打たせないと言っていた。だが、最近のフランスのニュースでこうしたワクチンを打たない、子供に打たせない、と言っている人たちの声が取り上げられたことがあったろうか。
どの国のニュースも操作されていると私は、思っている。もちろん、日本で流れている情報もね。
なぜ、情報は操作されていると思うようになったのか? 去年新型コロナウイルスに関連して、You Tubeを見ていたころ、「テレビは洗脳装置、見るな」という動画がいくつかあった。
私は、過去に、江藤淳「占領軍の検閲と戦後日本 閉ざされた言語空間」を読んでウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムを知り、検閲について知っていた。ベンジャミン•フルフォードさんの「闇の支配者たちの情報操作戦略サイオプス」という本も読んだ。だから、マスメディアの情報操作はあるだろうねーと自然に思っていた。
全然テレビを見ないわけではないが、普通に見ていても、物事を一方向側からしか報道してないな、と感じることがある。子どもの頃から日本のアイドルグループとバラエティーが苦手だった。今、思えば、そこに透けて見えるピラミッド社会を画面を通して受け取るのが、苦手だった気がする。そして、そのことを日本で、言うのは非常に難しかった。
何を信じるか、どの事象に焦点を合わせるか、どう感じるかはあなた次第である。同調圧力に負けるなー!
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