パリ徒然草

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世界解釈の物語 「豊饒の海 第三巻 暁の寺」を読んで②

 私にとって、「豊饒の海」、今読むべきして、読んだ本だと思っている。なぜなら、三島由紀夫はこの小説について、「世界解釈の小説だ」と言っていたというのだから。


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 新型コロナが世界を変えた という、タイトルを私は変えていない。

 

 2020年3月17日(時差があるので、フランス時間3月16日からかもしれない)から、このブログを書き始めた。

 

2020年3月18日の日記

https://clairefr.hatenadiary.com/entry/2020/03/18/064454

 

 マクロン大統領が発した6回の「戦争」という言葉が何か書き残しておこうと思わせてくれた。

   

 そして、その日から今日まで、私がいつの間にかしていたことは、世界解釈だった。このブログに書いたか、書いていないかにかかわらず自分なりに世界解釈をしようと知らず知らずのうちにして来たように思う。分からないことは分からないまま、脇に置いておくことも、含めて。

 

 IQが高くない、小さな脳みそであっても、自分で考えようとしてきたと思う。

 

 以前は興味がなかった様々な宗教や聖書について、知識として、興味を持ち始めたのもその一つだろう。

 

 

 コロナそのものが世界を変えたというだけではない。コロナを契機として、私の世界観は変わっていくのか、いや、既に変わった、そして、今も、変わり続けている。だから、この、タイトルを変えていない。

 

 新型コロナによって、さまざまな規制が出てきて、ニューノーマルだとか、テレワークだとか、ソーシャルディスタンスだとか、新しいカタカナ用語が頻繁に語られるようになった。最近では、ブレークスルー感染に、ブースターショット、新しいカタカナ用語満載である。そして、遠隔通信と引きこもりが推奨されるようになった。もちろん、それも、ある。

 

 一方で、私は、新型コロナがなければ、国を超えた権力について、お金の流れについて、戦争に誰が投資しているかについて、想像も、考察も、しなかっただろう。

 

 私の世界観は変わったのである。そして、まだまだ、私も世界解釈の途中である。私は誰か一人の見解を絶対的に信じることはなく、いろんな意見を聞いて、最終的には自分の心の声を聞くようにしている。

 

 三島は「『豊饒の海』について」(初出毎日新聞一九六九年二月二十六日)において『豊饒の海』を「世界解釈の小説」と評した。

 

 三島由紀夫の世界解釈を垣間見ることのできる「豊饒の海」は今の私にとって興味深い。特に、第3巻 第一部は、主人公が47歳の弁護士で、当時の三島由紀夫と年齢も近く、三島の分身ではないか、と見る人もいる。

 

 豊饒の海第三部の第一部のあらすじを見てみよう。

 

 時代は1941年(昭和16年)から終戦の1945年(昭和20年)までである。

 

 47歳になった弁護士、本多はバンコクで訴訟に関する仕事をしていたところ、ジン・ジャンという7歳の王女と出会う。彼女は日頃から「自分は日本人の生まれ変わり」と言っていて、本多に「黙って死んだお詫びがしたい」と言う。

 彼女は、清顕(1巻の主人公)と松枝邸の庭園で門跡に会った年月も、勲(2巻主人公)が逮捕された日付も、正確に答え、生まれ変わりを証明していたが、後日のピクニックで、脇腹に3点の黒子(清顕や勲には黒子があった)が彼女にはなかった。

 その後本多はインドを旅行し、衝撃的体験をし、仏教の輪廻転生や唯識の思想に触発され、戦争中は仏教の研究に明け暮れた。…(あらすじここまで)

 

 この小説では、115頁から143頁1行目「かくてこの世界すべては阿頼耶識なのであった。の一文で終わる部分まで、なんと、27頁にも渡って、主人公の弁護士、本多が戦時中、古本で調べ解釈した輪廻転生や唯識阿頼耶識について延々と書かれている。

 物語、ストーリーを読む気で読んでいる人は、難しく退屈で読み飛ばしくなる部分かもしれない。私も大学生の頃読んだときは読み飛ばしたのだと思う。

 

 だが、読み直すと「ディオニュソスはアジアから来た。(116頁、5行目)」この視点は私にとっては発見だった。紀元前7−5世紀のギリシャ文明にアジアからやってきた輪廻転生の思想が影響を与えていた(オルペウス教団の秘義に結びつき、哲学者で数学者のピュタゴラスに影響を与えた)、という視点は、今の私にとっては興味深かった。

 

 主人公、本多が古本から学んだ「西洋の輪廻転生説」は、今、フランスにいて、例えば、フランス人の夫とのお墓に関する価値観の違いを感じたりもしているからこそ、とても興味深いものだった。(ギリシャ哲学の霊肉二元論はキリスト教に受け継がれ、遺体は魂の抜け殻と考えるからこそ、日本人ほど、お墓に執着しないのだろう、と考えた。)

 

 去年の今頃、エズ村からニーチェの道を下るとき、私は高校生のときに読んだニーチェを思い出していた。「悲劇の誕生」の中で、ニーチェは“ディオニュソス的“なものについて語っていたなあと思い出したりもしていたけれど、そのディオニュソスがアジアからやってきたとは、思いもしていなかった。ディオニュソス

は、ギリシア神話に登場する豊穣とブドウ酒と酩酊の神である。

 

 紀元前の時代に、今から約2500年前に、西洋思想の根源とも言われるギリシャ哲学に、アジアの輪廻転生が影響を与えていた。「ディオニュソスの神がアジアから来て、ギリシア各地の地母神崇拝や農耕儀礼と結びついたのは、もともとこの2つのものの源が一つであることを暗示しており(115頁から引用)」という三島由紀夫の文章は、源は一つというワンネスという概念を思い起こさせた。衛生パスポートだとか、隔離だとかで人々の往来を規制する今だからこそ、こうして歴史を俯瞰するのが愉快なことに思える。

 

 主人公の本多が、戦時中、余暇をこうした研究に充てたように、三島由紀夫自身、当時、「唯識」と「阿頼耶識」の研究にのめり込んでいたようである。143頁1行目「かくてこの世界すべては阿頼耶識なのであった。」という本多の思いは、当時の三島由紀夫の考えでもあったのだろうか。

 

 

(この感想文は2ヶ月以上前の感想文の続きです。)

 

2021-06-07三島由紀夫と私 「豊饒の海 第三巻 暁の寺」を読んで①

https://clairefr.hatenadiary.com/entry/2021/06/07/162234