パリ徒然草

パリでの暮らし、日本のニュース、時々旅行、アート好き

7歳で見た原爆資料でトラウマ体験 義務教育の恐ろしさ 「大人でも見たくないものを7歳に強制するなー」

今週のお題「叫びたい!」


  3日前に何を食べたか思い出せない。それでいいのだ。脳のゴミを捨てなければ、新しい知識が得られない。

 

 そして、私は7歳頃の記憶がうお~と叫びたいほど強烈に残っていることを改めて考えるのである。脳は選別している。

 

 私は小学2年生だった。原爆資料館に学校から連れて行かれた。その夜眠れなくなった。私は自分が無力だと思った。


 原爆のエネルギーは、人類の希望で、人類は素晴らしいものを生み出した!!ぐっすり眠れるーとは思えなかった。


 2015年のTEDで核兵器爆発のキノコ雲の写真に続きコロナウイルスの写真を提示しながら自信満々に語るビル・ゲイツさんと同じように、人類の前進だと誇らしく思えなかった。


 水をくれー、助けてくれーと伸びてくる何本もの手が頭にちらついて眠れなくなったのだ。何日も。

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 日本から遠く離れて、あれから、何十年も経って、だから、私は今、やっと思える。私はPTSD心的外傷後ストレス障害)の可能性がある。6歳か7歳のときに、義務教育によって、被爆地独自の平和教育によって、見せられた原爆資料館の展示によって。


 数年前、パリにいて、お友達だった、ずっと年上の自分の両親ほどの日本人女性が電話で「日本人は嫌な人が多いから原爆落とされて当然よねー。良かったー(言葉は多少違ったかもしれない)」みたいなことを言われて私はパニックのようになり、縁が切れてしまったことがある。日本人とはいえ、被爆地と関係がない人の感覚は全く私とは違っていた。


 眞子さま複雑性PTSDを公表してくださった。PTSDについて話しやすくなった。被爆者や被爆二世、三世のPTSDについても考えてほしいと思う。

 

 私の場合、医師によって診断されたわけではない。だが、記憶というものを考えるとき、胸がドキドキするなどの身体反応を思うとき、その可能性もあると思う。そして、私のような思いを持った子供は一人ではないようだ。ブログや書き込みで探しても似たことを書いた人がたくさん出てくる。平和教育を評価している人ですら、大人になってもトラウマ体験として忘れていない人は、私だけではない。


その一例

https://ncode.syosetu.com/n6013ee/3/


https://women-sp.benesse.ne.jp/forum/zboca040?MODE=tree&CONTENTS_ID=0104040X&PAST_ID=t6lePWt6cl6XZOend4n3&MESSAGE_ID=624809&SEARCH=no&RET_PGM=&RET_PAGE=&YY=&MM=&DD=&HH=&OWNER_ID=624809&TARGETPAGE=1&LIST_PGM=&SLABEL_SKEY=


  

 私は、被爆時にお母さんが覆いかぶさって犠牲になって助けたことでなんとか生き延びた赤ちゃんが母親になって産んだ男の子と小学生で一緒のクラスだったことがある。被爆地の子供は、当然ながら被爆二世や三世も多い。


 被爆とは何の関係もないかもだが、小学2年生で同じクラスの女の子が病気で亡くなって弔事を読んだこともあるし、高校生のときに同じクラスだった女の子は、優秀な大学に入学していたのに大学生で癌で亡くなった。


 そういう子供たちが6歳、7歳で原爆資料館で、まっ黒焦げの子供などの写真を見せられるのだ。


 私たちが見せられたものは、人権侵害である。


 せめて12歳くらいまではその、情報を与えるのを辞めてほしかった。子供には選択権がないのだ。


 さらに被爆二世、三世は、自分の親や親戚がその体験をしたことを知っているケースもあり、情報を自分のことのように深く取り込みやすい気がする。自分自身の身体への自信のなさにも繋がりかねない。


 22歳になって、友達4人と卒業旅行に行ったとき、同級生の1人が私に言った。「資料館や平和公園には近づきたくない」。被爆地で美味しいものを食べただけで帰った。大人でも、近づきたくない場所なのだ。


 

 過去を忘れればいいとは思えない。もし、わざわざ覚えていることがあるとしたら、そこには意味があるのだ。7歳のときに義務教育によって受けたトラウマは、本気で向き合うことによってしか、解消されない。私は私なりに向き合おう。


 義務教育は洗脳であると、苫米地英人氏は言う。私もそうだと思う。義務教育はなぜ6歳か7歳の私に原爆資料館に行くことを義務付けたのだろうか。ある意味、恐ろしい。


 今、環境問題が叫ばれているが、私は常々、地球環境のことを考えるのなら、核兵器こそ、危険なものなのでは?と思っている。


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 一方、日本政府は、今年1月に発効された核兵器禁止条約に日米同盟重視の観点から加盟しない考えを繰り返し表明している。唯一の被爆国としての締約国会議へのオブザーバー参加ですら慎重な姿勢だ。


 そして、原爆と戦争責任と天皇制に関しては、「天皇は知っていた」「日米合意の実験だった」など、ネット上ではさまざまな陰謀論が噴出している。未だに闇が深い。この状況が全くトラウマを解決してくれそうにない。


 大人になってから、被爆者は調査され、治療されず、アメリカにデータは送られていたことを知った。ますます暗澹たる思いになり、トラウマ体験は強化された気がする。


 パリでのんびりとした衛生パスポート反対のデモに参加しながら、日本で参加した凄く参加者の少なかったデモ行進、「核兵器廃絶」のパレードをふと、思い出す。ふ~。パリでの行進はトラウマを癒やすための時間かもしれない。


【写真は本文と関係ありません】

今日の日記は、この↓日記の続きです

https://blog.hatena.ne.jp/clairefr/clairefr.hatenadiary.com/edit?entry=13574176438026184869


参照記事

https://www.jiji.com/amp/article?k=2021102300132&g=pol

https://toyokeizai.net/articles/amp/448183?page=5

"被爆者の心の被害とは" http://www.hankaku-j.org/data/07/hoka_001.html