パリ徒然草

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パリにいて原爆を考える 映画「ドライブ マイ カー」広島市のごみ焼却施設

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  この4ヶ月の間に私は、たった2本、パリの映画館で映画を見た。たった2本の映画にヒロシマが出てきた。ヒロシマを求めて見たわけではない。


 ああ、仕方がない。考えろ、と誰かが私に言っているのと思った。離れようとしてもトラウマだから、逃れられないのだ。追いかけてくる。

 

 集合的無意識の仕業だろうか。よりありふれた言葉で言うと、彷徨っている霊たちが私に求めているのかも。


 何しろ、未だに被爆地では、遺骨の見つかっていない行方不明者や家族の引き取り手が出てこない遺骨もあるのだから。


 今書いていることは、ゴミなのだろうか。


 私は幸せになりたかっただけである。だから、苫米地英人氏の『頭の「ごみ」を捨てれば脳は一瞬で目覚める!』を読んだのである。


 今はパリにいるし、ごみでいいだろう。他人の遺骨なんて、ごみでいいのだ。過去を捨てないと幸せになれない。そう自分に言い聞かせようとする。


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 でも、何も終わっていないじゃいかーともう1人の私が言う。


 原爆投下は核拡散の始まりに過ぎなかった。日本の原発を管理しているのは、イスラエルの会社だったと1年くらい前に知ったし、胡散臭いことだらけである。


 結局、7歳のときの義務教育による、このトラウマをなんとかしないことには幸せになれないのだ。自分が自分に価値がないと言い続けているのだ。


 私だけ幸せになっていいんだろうか。あんなに酷い目に遭った人がいるのに。何も、解決していないのに。


 たくさんある服も捨てられない。だって、かわいそう。まだ、きれいで使えるのに、ごみになるなんて、かわいそう。積み上げられた被爆者の遺体のようじゃないか。


 パリで見た映画『ドライブ マイ カー』で、私が一番印象的だったのは、広島市のごみ焼却施設のシーンだった。施設は、原爆ドーム平和記念公園を結ぶ南北軸の先にあり、軸線を遮らないように建物の中央はガラス張りになっている。連れてきたドライバーのみさきが俳優の家福にそう説明する。


 村上春樹の原作には全くない、シーンだ。そもそも、原作に広島は出てこない。


 映画では、ごみの白い灰がみさきの故郷の北海道の雪にたとえられるのだけれど、私は、遺体焼却をそして、原爆投下の後、ごみのように焼け野が原で焼かれた遺体を連想せずにはいられなかった。


 そして、映画には全く出てこない爆心地の慰霊碑に刻まれた「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」の碑文を思い出さずにはいられなかった。主語のない碑文。

 

 映画の後半では、村上春樹の短編「木野」に出てくる「本物の痛みを感じるべきときに、おれは肝心の感覚を押し殺してしまった。痛切なものを引き受けたくなかったから、真実と正面から向かい合うことを回避し、その結果こうして中身のない虚ろな心を抱き続けることなった」という台詞が俳優の家福によって雪の中で語られる。


 私の中で、あの碑文とこの台詞は反響し合っている。この映画を見る前から、「木野」を読んで、私はこの台詞を日本の戦後の歴史と捉えた、と書いた。


 「本物の痛み」とは原爆投下による人権侵害である。それは、国際法違反の市民虐殺実験なのだから。人権を謳う日本国憲法が制定された後も、人権侵害の原爆投下実験の調査は続いていたのだ。


 ちなみに、もう一本の映画は「シンプルな情熱」というフランス映画で、その映画の中で、主人公がパリで見る映画として「ヒロシマ・モナムール」が出てくる。

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【写真は本日、ポン・ヌフ付近で撮影。本文とは関係ありません】


過去の関連の日記

"初盆に帰れなくて - パリ、新型コロナが世界を変えた" https://clairefr.hatenadiary.com/entry/2021/08/18/045733

 苫米地英人氏の『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!』

 https://clairefr.hatenadiary.com/entry/2021/10/26/190803