世界の戦後体制が崩れていっている。
すべてが良くなるために起こっている。そう思いたい。
西側諸国のマスコミは「ウクライナに対する軍事行動により経済制裁や批判を受けロシアが孤立を深めている」と報じているが、ロシアの制裁に参加していないのは、中国やインド、パキスタンに加え南米や中近東、アフリカなどの国々も実質的に対ロシア制裁に参加していない。
ロシアはこれらの国々とユーラシア経済圏を作るかもしれないという人もいる。世界の人口を80億人とすると、ロシアに制裁を科しているG7などの国々の人口は10億人で、残りが70億人である。お金では、勝っていても、人口だと、西側は負けている。
「人」以上の財産があると言うのか?
そういう意味でも早く戦争に終わって欲しい。
【パリの日没】
深夜に起きて、ウクライナのライブ映像を見た。静かな街並みのままで、ほっとした。ウクライナの現状に心が痛む。心配になる。1ヶ月前はウクライナに関心なかったのだから、マスコミの影響はとても大きいとも思う。
一方で、ロシア人たちが元気に暮らしていることを願う。差別されないことを願う。ロシアの製品をボイコットしたり、ロシア人差別の記事を読んで心が痛む。
以前にフランス語を勉強していた語学学校のクラスで3人のロシア人と出会った。1人とは一緒にビーチに海水浴に行った。
もう一人とは、パリのシャイヨー宮にある国立劇場で一緒にダンスを見たことがあった。背が高くスラッとしたモデルのようなきれいなだった。大人っぽい服が良く似合った。
彼女が劇場はどこかと尋ねると、バスの運転手が乗客が私たちしかいないのを見渡して、停留所のない劇場の前でバスを降ろしてくれたことがあった。バスは、お姫様を乗せる馬車のようになった。美人は得である。
パリで不動産関係の仕事を目指していた。元気にしているといいなと思う。
2週間ほど前、カーニュ・シュル・メールについて書きながらふいに思った。私は知っている。世界が良くなっていると知っている。
なぜだか分からないのだけど、そのとき、去年の8月6日に行ったカーニュ・シュル・メールのルノワールの家の庭のオリーブの木を思い出していた。そして、原爆投下と終戦について考えていた。
脈絡のないことを書いている。でも私にとってはすべて繋がっている気がした。時間は関係がなくすべては繋がっている気がした。
私は、毎年8月初めに人生を楽しむことを申し訳ないと思いながら生きてきた。ヴァカンスで楽しむ夫にそのことについて、打ち明けることもしてこなかった。明るいリゾート地にいても、いつも、何かが脳にこびりついて消えなかった。8月6日から15日までは明るい夏の太陽の中にいるのに心はどこか別の場所にあった。
そのような思いをすべての日本人が持っているとは思っていない。でも、いくつかの土地に生まれた人は、どこにいても自分の暮らした土地の歴史を背負って、暮らしている。
そして、私はそのとき思ったのだ。もうそろそろいいのではないか、と。その背中に背負った重たいものを空に放とう、海に流そう、と。もっと私たちは自由に楽しんでいいのだ。もう手放していいのだ。もはや戦後ではない。
現在、日本国内には130の米軍基地がある。日本の原発を管理しているのもイスラエルのマグナBSP社だと聞いた。そんな状況で何をどう手放せるのだ?、戦後は続いている、と、もう一人の私が言った。
日本在住のウクライナ人がYou Tubeで「ウクライナとロシアは文化が違うのです。日本人も私も平和ボケでした」と言うのを聞きながら、私は急に強烈に沖縄を想った。沖縄も本土とは、文化が違っていた。私には文化が違うように思えた。
私は基地に苦しむ沖縄の人たちに日本人として、急にとてもとても申し訳ない気持ちになった。お詫びしてもお詫び仕切れない気分になった。米兵にレイプされた沖縄の少女を思った。ウクライナ紛争は触れれば触れるほど日本の問題を私に問いかけ、私の心をえぐった。
それでも、今やっと、戦後が終わるのだ。そんな気がする。
オリーブは再生の木。今、ここを感謝して楽しく生きよう。それしかない。
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3月13日、 ロシアとウクライナの当局者らは、ウクライナ紛争を巡る交渉 でこれまで最も進展があったとの認識を示し、数日内に何らかの成果が出る可能性に言及した。
そろそろ解決しそうですね!いい方向に行くといいね