パリ徒然草

パリでの暮らし、日本のニュース、時々旅行、アート好き

ついに夫が新型コロナにかかった そして、義母が救急病棟に

 新型コロナのことをだんだんと忘れそうになっていた。

 フランスでは、新型コロナの規制が緩和され、公共交通機関でマスクをつけるーのが私が唯一新型コロナに関わりのあることになっていた。私が書く内容も、戦争、ヴァカンス、コロナ以外の話題が多く、このブログのタイトルもどうしようか、と思うほどだった。

 夫が体調が悪い、と電話で言った。バス停まで、水を持って迎えに行った。家に帰っても、夫は、ずっと、ベッドで寝ていた。15時間くらい寝ていた。症状は発熱、喉の痛み、咳ー。軽い風邪と思われたが、イースターで家族が集まる前日なので、念のため、薬局に新型コロナの検査に行ってもらった。

 検査結果は陽性。2回検査をしたが、2回とも陽性。夫は7日間出勤できなくなり、5日後にまた新型コロナの再検査を受けるようである。私は、濃厚接触者ということになった。夫は、義母にそのことを伝えた。

 私は全然何の症状もないので、すぐに、検査を受けるか、悩んでいた。

 そうしたら、数時間後、電話が鳴った。

 90歳近い義母が路上で転倒し、救急車で運ばれたというのである。一時、意識不明だったようだ。ワクチン3回接種者である夫が新型コロナにかかったことを伝えたことも、義母にはショックで精神を動揺させたのかもしれなかった。

 夫は、新型コロナ感染中なので義母を迎えに行けない、動けない。夫の兄弟姉妹も遠くにいる。私は新型コロナの検査を受けた。ワクチン未接種者は検査が20ユーロ。。。ワクチン接種者は無料なのに。。。まあ、いい。結果、私の検査結果は陰性。

 そして、サン•アントワーヌ病院救急病棟に一人で行った。


【urgenceは「緊急」の意味】
 
 救急病棟の待合室は、ワクパスなしで入れた。約4時間半の間に受付の人に3度聞いたが、現在、診察中ということで、待てと言われた。結局、4時間半以上、待合室で待つことになった。夫が姉妹と電話連絡を取っていたが、情報は錯綜し、義母は救急病棟の奥の一般の人が入れない場所で検査を受けているということしか分からなかった。


【緊急病棟の受付には入れ代わり立ち代わりいろんな人がやってくる】

 泣きながら駆け込んで来る人。足に血がついた女性。ブツブツと話し続ける人。車輪のついたベッドに寝ている人もいる。顔が怪我で腫れている人。フランス語が話せない人に二人がかりでコミュニーケーションを取ろうと病院スタッフが頑張っている。待合室には人間ドラマが溢れていて、バルザックなら、きっと、臨場感溢れてる文章を書くだろう、と思った。


【待合室のテレビ画面では、フランスバスク地方の空からの映像が繰り返し流されていた】

 私は一時間過ぎた時点で、携帯電話の電源が気になり、携帯電話の使用はできるだけ控えた。タブレットも本も持ってこなかった。手持ち無沙汰になった。こういう場所には充電器と暇つぶしの物を持参した方が良い。

 病院ではマスク着用義務があるのだが、守衛の男性に何度言われても、5、6人の病院のスタッフに囲まれても頑として譲らず、15分の問答の末、結局、マスクを付けない強者もいた。待合室では、そんなタイプのドラマがしばしば起こるので、ゆっくり本が読めるかは微妙ではあるが。。。

 結果的に4時間半後、義母が出てきた。私が義母に気づいたとき、義母は受け付けのカウンターの上に自分のバッグから取り出した財布や書類や鍵を置いて、探しものをしていた。夢から醒めたばかりのような雰囲気でどこか、ぼんやりしていた。意識不明だったのだから無理もない。

 時刻は午後10時半過ぎ。外は真っ暗である。怪我をしている義母とともにタクシーに乗って義母の家に行った。タクシーの中で義母は「今夜は美しい満月だ」と言った。一瞬だけ満月が見えたが、ゆっくり愛でる時間はなかった。

 私は夫の新型コロナという問題があるので、できるだけ義母から離れるようにし、家のドアの前まで連れて行って別れた。タクシーでも、マスクをつけたまま、窓を開けていたし、エレベーターも一緒に乗らなかった。

 義母と着いた玄関に金色の紙に包まれた卵のチョコレートが一個だけ落ちていた。義母が私にくれた。そうだ。復活祭だった。


 そして、自分の家に帰ると、今度は感染しないよう夫といかに離れて過ごすかの問題が待っていた。別の部屋に寝ているが、私用のまともな寝具がないので、よく眠れない。

 朝5時半に目が覚めて、寝ぼけ眼で、インターネットでマットを探した。寝具は一人ひとりに必要な時代になったのだなあ。新型コロナで真に個の時代が始まったのかもしれなかった。

 復活祭のチョコレートは自分へのご褒美に買った。