パリ徒然草

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ル・コルビュジエの休暇小屋 終の住処について考える

 モナコからバスに乗った。そしてバスを乗り間違った。ロクブリュンヌの村に着くのだと思って、そのバスに乗った。バスに揺られている中で、ああ、このバスは高台のロクブリュンヌの村までは行かない、と気づいた。ロクブリュンヌ・カップ・マルタンの海辺を走るのだ。

 

 高台の鷹の巣村、ロクブリュンヌの村には過去に3度行ったことがあった。1度目に何か分からないのだけど、その村を気に入って、2度目は一人で、les deux frère s レ ドゥ フレールというホテルレストランに、泊まった。食事もホテルで取り、夜はモナコの夜景を見下ろし、朝食は青い海を見下ろしながらだった。

 3度目は夫とマントン方面から日帰りで、訪れた。早朝の村を歩いてフランスの作家、ロマン・ガリーの住居のプレート、樹齢2000年以上と言われるオリーブの大きな木、海を見下ろす高台にある建築家の巨匠、ル・コルビュジエの妻との小さな墓を発見した。このときも、やたらと印象に残った。

 

 結局、村まで行くのは諦めた。ロクブリュンヌの海辺でバスを降りた。ここには、ル・コルビュジエが最後に建てた小さな小屋「カップ・マルタンの休暇小屋」がある。

 

 ただし、数日前に観光案内所に尋ねたら、この小屋の見学にはネット予約が必要で、予約は3週間先まで埋まっていた。だから、小屋自体の見学はできないと知っていたけれど、今回はバスを降りて、その場所に行くことにした。

 

カップ・マルタンの休暇小屋」見学の予約のためのサイト

https://capmoderne.monuments-nationaux.fr/

 

 グーグルマップを見ながら、バスを降りて、海の方向に車の入れない細い道を下った。下りながら、ああ、ここは、この道は、ル・コルビュジエが何度も登ったり下ったりした道だ、と確信した。見上げると、遠くの山の上にに、ロクブリュンヌの城が見えた。あそこがロクブリュンヌの村だ。

細い道を降りながら見える景色

ル・コルビュジエが歩いただろう、と確信した細い道

 

見上げると、ロクブリュンヌの村。炎天下、歩いて登るのは厳しいなあ。

 

降りながら見えてくる景色。うわ~、絶景↑

 

 

私が過去に書いたブログ↓。この中にロクブリュンヌの村の写真がある。 http://franceartsanpo.blog.fc2.com/blog-entry-22.html

 

 

 ル・コルビュジエの小屋については予約なしで来たので、中は見学できず、上からトタン屋根が、少し見えただけだ。建築家ル・コルビュジエはこの目の前に広がる海で泳いだりと自然のなかでのささやかな生活を楽しんだという。2016年には世界遺産にも登録。ただの小屋に見えるかもだが、世界遺産なのだ!!

このトタン屋根の建物が「カップ・マルタンの休暇小屋」と思われる

カップ・マルタンの休暇小屋」はフランス語で Le cabanonル・キャバノンと呼ばれている。

 

こちらは住居とは別のアトリエの小屋↑

 

 ネットの情報によると、小屋内は、わずか8畳ほど空間。約3.5メートル四方、ベッド、トイレ、作業机という最小限の家具を配置。キッチンはなく、食事は隣のレストランでとる。風呂場もなく、入浴は外のシャワーで済ませた。究極のミニマリストである。

観光案内所でいただいたパンフレットより小屋の写真を転載↑

 

 いや~、申し訳ないけど、シャワー外付け、キッチンなしは住めないなあ。世界遺産かもしれないが私はゴメンだ。湯船付きが理想だけれども、年を取ると、湯船は危険だと、シャワーだけにする人も少なくない。

 

 ル・コルビュジエはこの小屋を妻にプレゼントした(世界建築遺産のプレゼント。う~む。凄いプレゼントなんだけど、私だったら、せめてお風呂をーと文句言いそう)。晩年のコルビュジエは妻の死後も、この小屋を気に入り、近くの海に毎日のように海水浴に通ったが、ある日この小屋から海に赴き、心臓発作で、帰らぬ人となった。

 

 終の住処について考えていた。

 

 マチス美術館に行ったとき、晩年のマチスは海まで行く体力がないので、部屋に海を描いたと知った。

 

 海で亡くなるのと、海が見えない場所に住んで、動けなくなって海を自分の部屋に描くのとどっちが幸せなんだろう。理想の終の住処はどんな場所だろう。

 

 ル・コルビュジエの小屋からは、このビーチが見渡せた。このビーチの名前はゴルフブルー。La plage du Golfe Bleu。本当に海の色がブルーだ。

 泳ごうとしたが、8月というのに、水が冷たすぎて泳げなかった。心臓発作が怖かった。石ころのビーチで足をつけても、波が結構あって、波が石を転がす音が鳴り響いていた。ル・コルビュジエが亡くなったのも8月だった。