パリ徒然草

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ジャニーズ児童性虐待問題がとてもとても気になる私 show must go on!

今週のお題「最近読んでるもの」

 

 私はジャニーズが子供の頃から好きではなかったし、外国に住んでいて、ジャニーズが出演しているテレビ番組も広告も目にする機会はあまりないのに、ジャニーズ児童性虐待問題について、ネット記事等で追いかけ続けている。この約1ヶ月、毎日3つくらいずつ動画やネット記事、ニュースを読んで、いまや追いかける、読み続けるのが時間潰しの1つとなっている。

 

 キムタクこと、木村拓哉さんが第一回のジャニーズ事務所の記者会見の後、インスタグラムで「Show must go on 」  と呟いて炎上したそうだが、ジャニーズ事務所問題を追いかけることは、私にとって、ショーのようなものとなっている。読み続けるべきものとなっている。

 

 2023年3月に「BBCの性虐待報道にホッとした」というブログ記事を書いた。

 

https://clairefr.hatenadiary.com/entry/2023/03/13/072836

 

 ブログで書くのは、この1回だけで、十分だとも思っていた。もうこの問題は流れに任せればいいのだ、と思っていた。

 

 それでも、この問題については、国連人権委員会の勧告などのニュースは目に入ってきた。

 

 そして、ここ約1ヶ月、ほぼ毎日、一日平均30分から1時間もニュースを調べたり、インフルエンサーたちの意見を読んだり聞いたりしてしまう自分を発見し(情報は山のようにある)、You Tubeに挙げられたニュースや記者会見を全部見たりするこの時間は無駄ではないのか? もっと楽しいことに焦点を当てればいいのに、なぜ、私はそうしてしまうのか、について考えたくなった。

 

 結論から書くと、ジャニー氏による児童性虐待問題を私は被害者と同じ視点で見ていると思う。それは、私が日本で生きてきた過去と関係している。つまり私にも日本で同じようなトラウマがあるから、この問題が気になって気になって、逃れられず、被害者と同じ視点で読んでいるのだ。アイアム カウアン オカモト(告発者)という気持ちで見ているのだ。

 

 この問題は、日本社会の生きにくさ、と繋がっている気がしている。それを象徴するのがジャニー氏による児童性虐待問題なので、私にとっては、この一連の出来事を見ることが私自身が癒やされていく一助になると無意識的に直感的に知っていて見ている、そんな気がしている。

 

 権力者による子供の頃の性被害は、アイデンティティとかかわる問題だ。子供の頃の性被害で、例えば性行為が嫌になれば、恋愛、結婚、子供を作ること、家庭を作ること、すべてに関係していく。大人の男に近づけないようになると、仕事をするのも難しい。人生そのものにかかわる問題だ。本来的には、補償というお金で解決できる問題ではないのだ。

 

 ここからは、私自身の日本での過去の話でジャニーズとは何の関係もない。以前にこのブログで書いたこともある。

 私は7歳で7歳の従妹と路上で遊んでいて、従妹が見知らぬ男性といなくなり、母を家まで呼びに行って、母と一緒に従妹を山の中に探した記憶がある。今でも詳細を覚えている。今まで気づかなかったが、私が人気のない田舎や山を怖いと思う一因かもしれない。

 

 大学生のひとり暮らししていたとき、男に深夜不法侵入され、男性2人の中年の警官に事情聴取されて、男1人の不法侵入以上に狭い部屋で男2人からの事情聴取の方がよっぽど怖い、と思った。話のネタにされてそうだとも思った。ああ、こういう問題は、警察に言うべきじゃないのかも、と思った。

 

 親も警察もマスコミも誰も助けてくれない、という絶望。長いものに巻かれて生きるしかないのだ、という絶望。だから、社会が信じられないという絶望。私には被害者たちの絶望が分かる気がしてしまう。

 

 以前に小学生の時、男性の教師に人権侵害(これは性的なものではない)を受け続けていたと書いたが、当時自分の親に言わなくて良かった、子供心に自分を守るために当時は言わなかったのだ、と今は思う。人間は無意識的に危険を察知する防衛本能があるのだ。そうやって生き延びてきた。

 

 

 だから、この問題について、なんで今さら、という意見には同意できない。むしろ、この問題が放置され続けてきたことを憐れむべきである。

 

 

 この問題は、日本の労働の問題として考えることもできる。

 

 

 私も社会人になった会社で、結婚している上司に、ストーカー的行為を受けた。随分時間が経った後、その上司は私だけでなく他の独身女性を盗聴していて、社内で問題になったことがあるが、お咎めなしだった、と女性の先輩から聞いた。ジャニー氏にも盗聴疑惑があるようだ。他人事と思えない。

 

 社会人の飲み会。酔った男性同士のディープキスを見たくないのに見ないといけなかった。私自身、社内の飲み会で男性複数人(誰だったかすら覚えてない。きっと働き続けるためには忘れるしかなかったのだろう)に体を触られまくったこともあった。そういうものに負けたくないほどには、あの頃していた仕事をあの当時は続けたかったんだろう、とは思う。

 

 

 書いてしまうと何のこともない気がするが、これが決定的というものはないものの、こうした小さなことの積み重ねが私が日本で鬱になってしまった一因ではあったと思う。それは、私の心に、社会に信頼が持てないし、上の人たちを尊敬できないし、こういう嫌なことを我慢しないと仕事を続けられない、出世できない日本というイメージとして、今でも、残ってしまっている。日本に帰国するのが面倒くさいと思う気持ちの中にこれらすべての経験、忘れたくても忘れられない記憶が関係しているのだろうなあ、とも思う。

 

 そして、私は戦わなかった。ただ逃げた。誰もがカウアン オカモトさんのような告発者になれるわけではないのだ。

 

 鬱になったら上司に言われた。「親と同居し続けたせい」だと。私は毒親についても書いたし、そういう面もゼロでないかもしれない。

 

 でも、ひとり暮らしが怖かったのは、大学生時代に一度ならずも、不法侵入、窓から手が入ってくる、など性的被害を受けたからでもあった。そして警察も当てにならなさそうだ、と悟っていたからだった。

 

 不法侵入の犯人は逮捕されていないし、実際その後も何度か下着盗難などで警察に届けたことはあったが、こうした犯罪で逮捕されたと連絡を受けたことは一度もない。

 

 当時、不法侵入されたことをトラウマだと思っていなかったけれど、無意識的に私の人生に影響を与えてしまった、とは思う。

 

 30代のころ、大学の同級生の友人は、東京の昼間の公園で強姦未遂に遭い、顔にもけがして、しばらく、引きこもりになっていた。私はたまたま、その時、彼女の家に泊まりに行った。彼女はそこを乗り越えて強いなあ、と思う。

 

 たぶん、こんな一つひとつの実体験、身近な出来事が私がこの問題に注目する原因になっている気がする。日本社会は少しは変わるのだろうか。

 

 今になって昔、日本で一緒に公的な劇場で働いていた頃の女性の上司を思い出す。彼女は自分の娘と一緒にジャニーズの追っかけをしていた。彼女は私たちスタッフに、ジャニーズの素晴らしさを力説し、私も一緒に称賛しないといけないような同調圧力に辟易していた。

 

 私たちは、最低賃金(当時時給800円程度)しか得ていないのに、一方で飲酒運転などの不祥事を起こさないよう、スタッフに対しては少しでもそういうことがあると仕事を失う、と強い注意喚起も何度もあった。あの閉塞感が私にとっての日本社会なのだ。ジャニー氏の悪行とのギャップとが甚だしい。

 

 自分の子供が被害者になってすら、我慢しろ、と言うのだろうか。そして、実際、我慢しろ、人に言うな、という親がいるのも事実である(それは、以前のブログで書いた)。カトリックの性虐待問題でもむしろ子供を差し出し、お金を手にする親たちもいた。だから、被害者たちの中には、親に迷惑をかけない年齢になって、やっと訴えているという例もあると思う。

 

 キムタクの言う、ジャニー氏の口癖だった「Show must go on 」 に同意する。私は、このショーをしっかりと目を開けて見続けるべきだ。

 

 最近の研究では、長生きするためには、ストレスや怖れといった感情を十分に感じ、それを完全に解放することで身体はリラックスし、免疫システムの治癒能力が高まることが大事だと言う。私自身が長生きするために、私にとって、この問題の流れをしっかり見続けることが必要なのだと思う。

 

 木村拓哉さん、東山紀之さん、井ノ原快彦さんには、役者の1人として、被害者の心が少しでも理解できるようにという意味でも、この映画を見るようにおすすめしたい。

 

「グレース オブ ゴット 告発の時」 フランソワ・オゾン監督

https://youtu.be/xbOfQyf23nQ?si=r1QV9r-yobW0EnHR

【写真は10月10日のパリの夕陽】