パリ徒然草

パリでの暮らし、日本のニュース、時々旅行、アート好き

穏やかなパリの日々 ホームステイの思い出

 パリに来て10年以上が過ぎた。日本で過ごした時代に比べてなんて穏やかで楽しい日々だったことだろう、と最近思う。感謝する。

 

 日本では、4歳で隣家の子供への虐待を目にした。幼稚園は養護施設が併設で、実の親と暮らせない周りの子供たちの気持ちは荒んでいた。

 6歳か7歳で日本の公立小学校が原爆資料館に連れて行き、この世の地獄をしっかり見せられ、その日から私は不眠症の子供になった。あの日から私の余生が始まった。7歳で同じクラスの子が天に召され弔事を読んだ。30代の叔母は小さな子供を二人遺して白血病で死んだ。

 18歳で一人暮らしをしたら不法侵入に遭い、高校時代同じクラスで受験戦争を闘った同級生は大学生でがんで死んでしまったし、大学時代に失くした4つの財布は一つも返って来てなくて、小学生の思い出のタイムカプセルを大人になって開ければ、参加者たちのバッグが消え、警察沙汰になった。20代で仕事関係で一緒に飲んでいた男性は、とてもいい人だったのに銃弾に倒れてこの世からいなくなった。11月に日本に帰ったときに一緒に笑顔で写っている写真を見つけたのだ。

 

 私はパリで、ゆっくりしていい。ちょっと休んでいい。リラックスしていい。戦闘モードにならなくていい。私はそうであるべき人なのだ。サバイバーだったのだ。やっと、そう思えるようになった。

 

 この10日間、パリは年金改革のストでゴミ収集しないので通りにゴミが溢れているけれど、まあ、それもご愛嬌。パリらしい。そのことを題材にしてフランスのミュージシャンが新しい曲をプロモーションビデオを作って話題になっている。前半の映像、ゴミが収集されず、ネズミがいて、工事中ばかりで、まさに現在、パリのそこかしこがこんな感じ。😅

 

youtu.be

 

 

 夫の家族や友人たちは、余裕がある。演劇や映画を見て、旅行に行く。人生を楽しんでいる。これが普通なのかもしれない。

 

 私の両親は彼ら自身の生い立ちや人生が厳しすぎて、子供にもハードモードの人生を求める人たちだった。私が鬱になって会社を辞めたらビンタされて土下座させられて「私は駄目な人間です」と言わされたり、抗鬱剤は飲むなと捨てられたり、いろいろあったなあ。敢えてここに書くのは、書くことでしか、自由に、なれないと思うからだ。

 

 逃げていいんだよ。逃げて欲しい。逃げることは悪くない。この数日、壱岐島の行方不明高校生が気になって気になって他人事と思えなくて祈るような気持ちでいた。

 

壱岐島で17歳失踪 里親の虐待か(文春)

https://bunshun.jp/articles/photo/61327?pn=1

 

文春の続報

https://bunshun.jp/articles/-/61678?page=1

 そもそも夫婦で自分の子供4人プラスよその子7人面倒見るって、多すぎると思わないのかな。仲介の県や市も、おかしいと思わないのかな。

 

 私も大人になって日本から逃げて、抗鬱剤飲みながらフランスのトゥルーズでホームステイしていたとき、5人学生を受け入れているフランス人女性の家に居て、ビジネス臭を凄く感じたことがある。仲介の語学学校にはプレゼントをたくさんするのに、私たちの食事は貧相で、野菜が少なくて、家から一日中出ていかないといけない日もあったりした。大きな湯船だけど監視されててシャワーしか、使えなかった。少しでもお金を稼ぐ人が偉い資本主義社会だから仕方ないのかもしれない。

 

 私自身、ホームステイは個室一室与えられて当時で一ヶ月約600ユーロで朝夕2食付きだったので、アパートで暮らすよりは安いと判断してホームステイを選んだ。ホームステイ先を変えてもらうこともできて、何人かの日本人がそのホームステイを変えてもらったと耳にしたけれど、私は2ヶ月だけだったし、自分のお金もあるし、割り切って、レストランで食べたり野菜や果物を自分で買って食べたり、カフェに行ったりして、過ごした。

 

 だけど、お金も車もスマホもない高校生で田舎だったらどう過ごせばいいのか。😭ホームステイ先に親代わりや心のケアを求めるのは酷かもしれないが、日々自分が暮らす場所が自分の居場所と感じられないことほど辛いことはない。

 

 壱岐の事件は、残念な結果になったけれど、おかえりなさい、良く帰って来たね、帰ってきてくれてありがとう、と言ってあげてほしい。ご遺体が見つかって良かった。海を彷徨い続けなくて良かった。

 

 

 

 そして、単に私は運がいい。今、周りの人に恵まれている。そして、これからもっともっともっと良くなる。自分を信じる。周りを信じる。すべてのことにありがとう。

【通りにゴミが溢れるパリの街。ははは。これも現実】