私は、ピエール・ボナール(1867年~1947年)という画家と縁がある。ポスト印象派の画家である。
昨年12月、オルセー美術館でたくさんの絵画を見ながら、ボナールの絵を見て、20歳の時も、この絵見たなあ、と思った。20歳というと、うん数10年前(笑)のことである。大学生で日本からパリに1人で来て見たのだった。
世界には、たくさんの絵画があるのに、なぜ、私は、ボナールの名を覚え、ボナールの描いた色と形を覚え、20歳でボナールの絵を、このオルセー美術館で見たとはっきり認識し記憶しているのだろうか。記憶って不思議だなあと思った。
ここ10年の私とボナールの関係を書き出してみる。
ボナールは、1925年に南仏ル・カネに家を構え、庭の風景、室内情景、静物などの身近な題材を描き、1947年、ル・カネで没した。ル・カネにはボナールの美術館があって、2回行って鑑賞した。カンヌが好きでしばしば滞在した私は、ル・カネには、カンヌからバスで4回以上行った。ル・カネのあちこちに、ボナールが描いた絵のパネルがあって、探し回って歩いたことも何度かあった。
オルセー美術館で2015年、ボナール展を鑑賞した。
ボナールの絵は、パリでは、オルセー美術館の他に 、パリ市立近代美術館にも、プティ・パレ美術館にも、またシャイヨー宮の中の劇場にもあるので、鑑賞した。さらに、マルモッタン美術館で2016年、ヴィラ・フローラ展があったときもボナールの絵を鑑賞したことが印象に残っている。
私のボナールを見る視線は20歳のときと随分変わった。私は20歳当時、ボナールの猫の絵などを見て、可愛い、と思い、浮世絵に構図が似た絵を描く画家と思っていた。
【上の3枚の絵画はオルセー美術館所蔵のボナールの作品】
だが、作品を見て、その説明文を読むたびに、私は、ピエールと、モデルだったその妻、マルトとの関係に、そしてボナールの若い愛人に関心を持った。ボナールの人生について調べて、2016年にブログで、書いた。
2016年に書いた「ボナールの三角関係」
http://franceartsanpo.blog.fc2.com/blog-entry-1.html
「謎めいた妻のマルトの存在なくしては、ピエール・ボナールは現在の世界が知る存在にはなりえなかっただろう。マルトはピエールの作品の三分の一を占めている…」と言われている。
1月にBonnard, Pierre et Martheという映画、この夫妻についての映画が公開された。先月半ば、私は、私こそ、この映画を見るべきだろう、と思い立ち、忙しかったし、体調を崩したりもしていたのだが、予備知識なく、この映画を見に行った。朝一番の回にオデオンの映画館に行ったら、一人占めだった。つまり、もう、既に人気がなかった。映画館も映画も厳しい時代だなあ、と思った。
「ボナール、ピエール、マルト」
フランス2023年
監督:マルティン・プロヴォスト
俳優:セシル・ド・フランス(マルト)、ヴァンサン・マケーニュ(ピエール)、ステイシー・マルタン(レネ)、アヌーク・グリンバーグ(ミシア)、アンドレ・マルコン(クロード・モネ)、グレゴワール・ルプランス=ランゲ(エドゥアール・ヴュイヤール)...
発売日:2024年1月10日
所要時間: 2時間02分
私自身は、この映画を見て良かった。興奮しながら、引き込まれながら、感嘆の声を上げながら見た。フランスの自然の撮り方、美しいなあ、さすが、印象派が生まれただけある、ボナールの家、こんな感じだったんだーとか、1人でほぉ~、と声を上げながら、見た。幸福な時間だった。
パリ市立近代美術館で見たボナールの絵画とそっくりな、この映画の構図↓にプロヴォスト監督のボナール愛を感じることもできた。
【上の3枚の写真は、プロヴォスト監督のボナールの映画より】
映画では、ボナール夫妻とクロード・モネの交流も描かれる。ボナールは、フランス北西部ノルマンディー地方ヴェルノンに家を購入し「マ・ルーロット(私の幌馬車)」と名付けた。上流に7kmほど向かえばクロード・モネが住んだジヴェルニーの庭があり、1926年に亡くなるまで親密な交流があった。ナビ派の画家、エドゥアール・ヴュイヤールも登場する。印象派やナビ派、美術史が好きな人は十分に楽しめると思う。
一方で、思い入れがある画家なだけに、いろいろ、考えてしまった。
私はボナールをヴァンサン・マケーニュが演じたことにしっくり来なかった。ヴァンサン・マケーニュはいい俳優だと思うし、絵を描くシーンも自然で演技は素晴らしい。
だが、ボナールの写真も残っている。自画像も描いている。自画像や写真で見た後、勝手に私がイメージしていたボナールと雰囲気と似ていないと思う(いや、私が知らないだけで、こんな感じだったのかもしれないのだが)。私の中では、もっと、神経質でおどおどした雰囲気で、ちょっと根暗で、コンプレックスがあって、線が細いイメージだった。例えば、メルヴィル・プポー辺りが演じたら、どうだっただろうか。
マルト役のセシール・ド・フランスはマルトに合っていたし、良かったが、若いころの写真のマルトに雰囲気の似ているサンドリーヌ・ボネールに演じてほしかったかも。
プロヴォスト監督は、「セラフィーヌの庭」(2008年)という映画で知られる。素朴派の画家、セラフィーヌ役の女優ヨランド・モローが入魂の名演技だった。この映画はセザール賞7部門を受賞して、ヒットした。このレベルを求めてしまうから、納得しなかったのかもしれない。
そして、脚本。映画「画家ボナール、ピエールとマルト」は年代順に二人の出会いからエピソードを紹介しているが、私だったら、ル・カネ時代に焦点を当てた心理サスペンス風の映画にすると思う。
ル・カネ時代に浴室シリーズの絵が生まれた。
2015年にオルセー美術館の展覧会で浴室シリーズがずらりと並んでいるのを見たとき、 感動を覚えた。この浴室の絵画がボナールの芸術の真骨頂、到達点なのだ、と私は、思った。クロード・モネにとっての「睡蓮」なのだ、と。
愛人レネを浴室の自殺で亡くした後、晩年ル・カネに夫婦で籠もって暮らした中で、生まれた傑作。これらの傑作が生まれていく過程を、その葛藤や迷いや後悔や懺悔や祈りを映画で見たかったかも。
【昨年12月にオルセー美術館で撮影したボナールの作品。2015年の展覧会の作品ではない】
そうは言っても、ボナール愛に溢れ、フランスの美しい自然も映し出され、当時の美術史を感じられる映画。日本にもボナールの絵画を所蔵する美術館が全国各地にある。この映画は日本全国の都市でも上映されて、”ボナール”を再発見して欲しいものだと思う。