マクロン大統領の「戦争」演説をやんわり批判するのにおどおどしていた私だけど、そんな批判は17日ごろからルモンドだとか、パリジャンとか、いろんな新聞にたくさん載っていて恐る恐る書くほどのことでもなかったようだ。
日本語ではなかなかそうした記事を見つけられなかったのだが、東洋経済の「コロナで最も変わった国はフランスではないか あんなに個人の自由を重んじる国だったのに」レジス・アルノー さん(仏フィガロ東京特派員)の記事を見つけて、私の言いたいことをよくぞ言ってくれた、という気持ちと同時にとても痛い気持ちになった。自分に還って来るブーメランのような。
https://toyokeizai.net/articles/-/342888
私が落ち込んだり、怒ったりするのは私がこの国に期待していたものが大きかったということの証でもある。私はこの国に生まれたわけじゃない。私が住むことをお願いしている立場だ。批判するくらいなら自分の国に帰って来れ、と思う人もいるだろう。
私の中にフランスの理想像があったのだと思う。おどおどと書くのも、それでも、この国に住んでいたいからだと思う。批判するのは執着があるから。批判するために何度も演説を聞いた。
夫は、誰が、政治家やっててもこんな感じだよ、黙って家にいればいいんだ、と飄々としている。それは夫自身が生まれた国だから、だとも思う。
私はケガしてやっと、ジョギングや買い物でも外出しない、本当のコンフィヌモン(監禁)に突入した。オンライン診療は、新しいパソコンを持っていない情報弱者には難しいようで、自然治癒力に、天に、任せようと思う。
話すと痛いので、電話でのおしゃべりもできなくなった。動くと痛いので、数日は家から一歩も出ないことができそうだ。病気やケガのとき、一歩も出ないのは難しくない。本当の引きこもりを体験することになった。
でも、80歳を超えた夫のお母さんがひとり暮らしで、一ヶ月誰とも会ってないのは、あんまりだと思う。お母さんは今日、EHPAD(医療支援付き老人ホーム)にいた友達を亡くして、落ち込んでいる。お葬式で死を悼むこともできない。新型コロナウイルスが死因ではないそうなのだが、こういう時期だからという理由で、ご遺体は、すぐに焼かれて家族でも会えないという。
夫は家はすぐ近くなのにお母さんに一ヶ月、会ってない。マクロン大統領は家族にも会うな、と言ったから、従っているのだ。私は、会わないでいいから、窓の外から手を振ってもらって顔をチラッと見せてあげたら、と言った。ロミオとジュリエットみたいに。警察のコントロールに遭ったら罰金135ユーロ(16000円)払えばいいよ 、と。
親に顔を見せる自由はお金で買うものだろうか、こんなことを考えてしまうのは私だけで、夫も、お母さんも、淡々と大統領の言葉に従っている。
参考記事