街に出かけると、ときどき、営業していないお店、シャッターが閉められたお店を見かけるようになった。女性の服を販売するpromodから、サン•ミッシェル店を閉店する連絡が来た。
普段は学生の街としても賑わってきたカルチェ•ラタンのサン•ミッシェル大通りでは、いくつかのお店が閉まっていた、張り紙のある店舗もあった、と耳にした。
以前にも書いたが、女性の服では、NAFNAF、Camaieuも経営が厳しい。靴のAndreも厳しい。どこも経営が厳しいのだ。1978年創業の紳士服のチェーン店Celioも経営が苦しいという記事を読んだ。
コンフィヌモン(外出制限令)後、私なりにいつもより、服は買った。明るい色のスカートだけで5枚。他にも、バッグ、ブラウス、もろもろ。。
お店を応援したい気持ちも、自分自身にご褒美あげたい気持ちもあったと思う。前日の日記に書いたように、私は時代に逆行しているが、ネットショッピングはせず、店舗で買っている。コンフィヌモンを経験したからこその思いがある。
パリの街に、シャッター街になってほしくない。店が閉まっていて、その前の道にゴミが舞うコンフィヌモン中の街に、戻って欲しくない。
でも私1人買ったくらいじゃあどうにもならない。
こうしたお店が繁盛するのに、パリを訪れる観光客のおかげも大きかったと今更ながら思う。
私が買い物したスーパーの前のホームレスが10人以上に増え、ゴミ箱の中の宝を探していた。いいネギが見えた。あれなら私も使えるなあ、いいのが見つかって良かったですね、と心の中で思う。
すべてのお店が、私たちの暮らしに関係してきたのだ。お店が営業しているから、店の前の道も清掃される。スーパーなどはホームレスの食糧源にまでなっている。
パリに旅行者しかいなかったら、あるいは危機になると、パリから田舎にすべての人が移動したら、スーパーですら、パン屋ですら、客が減って経営が厳しくなる。それはホームレスの生活にまで及んでいく。コンフィヌモンを経験して、フランス人がよく言うSolidalite(連帯)という言葉の意味が私は少しだけ分かった気がした。
一方で、明るい兆候もある。パリのカフェのテラスは元気そうだ。昨日の夕方、帰宅するとき、たくさんの人が太陽の下、テラスでくつろいでいるのを見た。
日本人なら顔をしかめるかもしれない。新型コロナにもっと慎重にならなくていいのか?、と。昨日はアルコールを立ち飲みしながら、談笑している20人くらいのグループも見かけた。もちろん誰1人マスクはしていなかった。
カフェのテラスによって、道が狭くなった所があり、歩行者には大変厳しい。これもカフェの経営のため、テラスにいる人の笑顔のため、致し方ないと思いながら、気休めにでもマスクをして、人混みをかき分けて歩いている。