パリ徒然草

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その本を読むなら離婚だーと夫に言われた

 表現の自由を謳う国にいて、こんな目に遭うとは思わなかった。

 

 外出禁止令延長ー。外を出歩く自由もない中、せめて心の中は、自由でいよう。本でも読もうと意欲を持っただけだった。

 

 そんな私に今度は夫が「そんな本を読むなら離婚だ」と言い出した。私としては、教養のために読もうという程度の気持ちだった。中国が最初に感染者が多かったウイルスのせいで、「アジア人を襲え」、とSNSで呼びかけている今だからこそ、その心理を知るために一度読んでおこうと思った。

 

 日本では、2017年に学校の教材として使うことすら許された本である。日本では漫画版まで出ている。ドイツでは、出版禁止状態が70年間続いた後、2016年に再出版され、結構売れている。2015年の時点で世界で8000万部を売ったと言われる。

 

 世界一危険な本とも言われ、フランスでは今でも一般の書店に並ぶことはない扱いらしい。Fayardという出版社が1000ページの歴史学者の批判を添えて、2020年に再販するという記事を読んだが、論争は続いているのか、どうやらまだ再販されていないようだ。

 

 その本とは、アドルフ•ヒトラーの「我が闘争」。

 

 文化の違い、歴史観の違い、教育の違い、改めて感じることになった。

 

 最近、シェイクスピアのことを考えていた。小学生のころ、父が買い与えたシェイクスピアの「リア王」が私の愛読書だった。本をたくさん持っていなかったので何度も何度も読んだ。

 

 私は日本の公立小学校に通っていて、学校には図書室があり、授業で読書の時間があった。教師がやってきて、教師が私が読んでいる本のタイトルをみんなに言った。シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」。一堂がどっと笑った。クラスのみんなに馬鹿にされた。

 

 考えてみれば、その日以来私は一行もシェイクスピアを読んだことがない。あんなに「リア王」が愛読書だったのに、粗筋は今でも言えるのに、父の贈り物だったその本すらも本棚の奥に仕舞い込んだ。あれから何年経ったというのだろう。ちなみに、その嘲笑われたタイトルを今日、ここに書くことすら恥ずかしい自分がいる。

 

 学校がすべてだった。クラスの人の価値観がすべてだった。教師やクラスの皆に嘲笑われるような本は読むべきではないのだと思った。そして、その後、シェイクスピアのことを考えずに生きることができた。そういう縁とタイミングだったのだ。今でも読みたいとは思えない。小学生だったときの情熱に戻ることができない。シェイクスピアを読まなくても、世界には一生かかっても読めないくらいいろんな本が溢れている。

 

 今回はどうしよう。特に離婚してまで読みたいというほどではないが、あの頃と違って価値観を押し付けられるにはいろいろ知りすぎている。夫の気持ちが傷つくのなら、読まないことが優しさなのか? フランスでなかなか書物として出回らない本「我が闘争」は、インターネットでならクリック一つで簡単に読める時代なのだ。自由ってなんだろう。