パリ、オランジェリー美術館のクロード・モネ(Claude Monet, 1840年11月14日 - 1926年12月5日)の「睡蓮の間」の写真を載せます。モネは印象派を代表する画家で、この部屋はモネの晩年の集大成です。
モネ自身がこの絵について「イラついた神経は、静かな水辺の上にゆだねられくつろぎを得るだろう」「疲れ切った人に、その中心で穏やかに瞑想のできる場を提供する」と語っています。
何度か行きましたが、いつも同じ気持ちではありません。
あるときは、ここはモネの巨大なお墓のようだ、と思いました。
あるときは、ここにいまもモネが生きている、と思いました。
あるときは、ジベルニーのモネの家を訪れた後で、絵画よりも、本物の睡蓮の池の方が素晴らしい、やはり自然には勝てない、と思いました。
あるときは、雨の日にこの場所に濡れずにいれて、素晴らしい。やはりモネは天才だ、と思いました。
あるときは、優しい太陽の光が射し込んでいて、この場所にいれることへの感謝の気持ちが心から溢れました。
今回はジョルジュ•クレモンソー(Georges Benjamin Clemenceau、1841- 1929年)のアパートに行った後だったので、政治の働きというものを思いました。1918年11月11日、終戦の日の翌日、モネの友人であるクレモンソーを介してこの絵は平和のシンボルとしてフランスに贈られました。クレモンソーらはモネの意向も汲みながら美術館建設に尽力しました。
1927年公開当初、この絵は大衆からの支持は得られませんでした。長い間、訪れる人はほとんどいませんでした。第二次世界大戦後、ニューヨークのモダンアートの新たな運動によってモネの晩年の作品に注目が集まるようになりました。今では人が絶えず、ゆっくり瞑想するのは難しい程です。クレモンソーには審美眼、先見の明があったということかもしれません。
9月にクレモンソーのアパートを訪れたブログ
https://clairefr.hatenadiary.com/entry/2020/09/20/162745
今は再ロックダウン中で、この部屋に入ることができません。新型コロナウイルスの影響で「イラついた神経」「疲れ切った人」多い今なのに、残念です。
以前に撮ったこの部屋の写真を見ています。目を閉じてその部屋の中にいた感覚を思い出そうとしています。残念ながら、この空間に抱かれる感覚は写真や動画では伝わりません。