パリ徒然草

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過去のトラウマと向き合ってみた

 嫌な過去と向き合っても時間の無駄ー。その言葉は正しい。でも、正しいことだけが正解じゃないほど、人間の心は複雑だ。

 

 嫌な過去としばらく向き合った。ネットやYouTubeでざっと調べた限り、トラウマの対処は2つの対処方法しかなさそう。痛みがなくなるまで、とことん向き合うか、離れるか、である。

 


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 忘れられそうなら忘れればいい。問題は急に思い出して、胸がドキドキしたり体が震えたりすることである。いわゆるフラッシュバックである。こういうときは全力でフラッシュバックの原因から離れるのが一つの対処法らしい。

 

 関係がないときに急にパニックになっても嫌だなあ。大人であれば、逃げられないシーンもあるだろう。


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 どうすればいいか、ネットや本で調べた。心理学系の人気Youtuberは、虐殺を目撃した人は創造性が逆に花開いた、と早口で喋っていて、虐殺ほどの大変な問題でもないのに、自分が弱すぎるのだろうかとまたさらに自分を責めそうになった。いやいやいやいや。人それぞれだ。

 

 生きるのに器用な人の助言が私に役立つとは限らない。不器用な人の助言の方が助かることもある。


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 YouTubeや本やネットにトラウマの対処法はあるので、自分に合った一人で向き合う方法を見つけて、一人で向き合うことにした。例えば採用しなかったが、携帯電話の録音機能を使って自分のトラウマを話して録音し、録音を再生して第三者のように「辛かったねー」と言いながら話を聞くという方法もあった。悪くないと思う。

 

 私がやったのは、トラウマと思うことを紙にペンで書き出した。書き尽くした。そして大自然の中、人がほとんどいない湖のそばで、それを声に出して読んだ。2回読んで、紙をビリビリに破いた。破いた紙は、紙袋の中に入れた。

 

 薔薇の花も持っていって、薔薇の花びらを一枚一枚ちぎりながら、その時の自分を褒めた。一枚ごとにポジティブなことを言った。一生懸命だったね、努力してたね、ありがとう、など。

 

 薔薇の葉も一枚一枚ちぎりながら、その時の自分が今の私にくれるポジティブなことだけを言った。「あなたが私に道を示してくれます」「あなたが私に忍耐を教えてくれます」「あなたが私に人をゆるすことを教えてくれます」など。


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 薔薇のトゲも一つひとつちぎりながら「もう痛くありません」「痛みを感じていない」などと言った。薔薇が茎しかなくなるまでやった。

 

 破いた紙は、持ち帰って、袋とともに捨てたが、薔薇の花びらは自然の中に撒いた。撒く作業、撒いたときの薔薇の白い花びらのイメージが心に残った。弔いの作業をしている気持ちになった。

 

 破いた紙を火で燃やすのもいいらしい。暖炉や庭のある家は紙が燃えていくのを見つめるのがいいと思う。

 


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 なお、これは自分に向けてアレンジしてやったけれど、私が読んだやり方には、忘れられない別れた恋人や亡くなった家族などを対象にやる方法が書いてあった。つまり別れた人の素晴らしさなどを言いながら薔薇の花びらを一枚一枚ちぎっていくというものだ。執着があるものなら何でもいいのだ、と勝手に解釈している。

 

 一回では終わった気がしなかったので、薔薇の花だけでその後、2回やった。

 

 場所によっては薔薇の花びらとは言え、撒くことに抵抗があった。そもそも誰かに見られたら注意されないだろうか。薔薇一輪分ではなくて、数枚にしておこう。

 

 セーヌ川に薔薇の花びらを思い切って5枚だけ撒いたら奇跡が起こった。たくさんのカモメが私めがけてやってきたのだ。私は一瞬、15羽くらいのカモメに囲まれた。自然が私を祝福してくれている気がした。


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 傷ついたのも自然なことだと思えた。その時の相手とその時の自分を許すことができた気がした。過ぎたことなのだ。水に流そう。

 

 3回目に薔薇の花びらを撒いているとき、やっと、バカなことをしているな、あー時間がもったいないと思えた。

 

 本当にバカなことである。嫌な記憶を私の脳から取り出してくれれば楽だろうに、とすら考えていたこともあった。



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 自分のトラウマを真剣に聞いてくれる他人を見つけるのは本当に難しい。心理士、カウンセラー、精神科医と呼ばれる人に話しても、友達に話しても、却って傷付くことすらある。触られるのが危険だとも思う。

 

 それこそ「過去に執着するのは時間の無駄」と直接言われたくらいのことでも、文章を読むのなら全く問題ないのに、会話の場合、話のコンテクスト次第では、アクセントが付いた「無駄」という単語だけが頭に残って、そこに執着する私自身の人生が無駄であると言われたかのように傷付くかもしれない。

 

 その点、自分だけが自分が大切にしているものを良く知っている。コミュニケーションによる誤解もない。効果はまだ分からないが、少なくとも、過去の自分が今の自分によって大切に扱ってもらえた気がした。結局のところ、いくつになっても、誰もが大切に尊重されて扱って欲しいのである。

 

 時間の無駄もたまにはいいではないか。これをやっても自然の中で、他人に変な人と思われるくらいのものだ。

 

 ありがとう。フランスの自然。


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"心的外傷 - Wikipedia" https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E7%9A%84%E5%A4%96%E5%82%B7#:~:text=%E5%BF%83%E7%9A%84%E5%A4%96%E5%82%B7%EF%BC%88%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%A6%E3%81%8D,%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%92%E6%8C%87%E3%81%99%E3%80%82