パリ徒然草

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怒ったり苦しんでいる人の話を聴き続けるって難しい

  友達が夫婦の問題で苦しんでいる。

 

 話を聞いてほしいみたいで、1時間くらい電話で話を聞いたが、聞く側の私も、彼女の怒りとか、批判とか、だんだん負のエネルギーに捕まってしまう(ちなみに言語はフランス語)。さらに、夫婦の問題は、合わせ鏡というか、お互いさまのところがあると、私は思う。

 

 彼女は、言いたいことを言ってすっきりするかもしれない。しかし、聞かされている私は心が消耗し、疲れてしまう。彼女の話には、苦しみ、怒りや嫉妬など、たくさんのネガティブな言葉が含まれている。ネガティブな言葉をずっと浴びせられると、自分のエネルギーを吸い取られたかのような状態になり、心身ともに疲労する。

 


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 旦那さまのことも、知っており、二人が仲直りすれば、また、いつか旦那さまに会うかもしれず、あまりに夫婦の詳細を知っているのも、私はあまり得意な方ではない。私はぼーっとしていらぬことを喋ったりするドジな面がある。

 

 さらに、その友達から「私の方があなたより、ずっと孤独」と言われたことで、数ヶ月前、私がヒトラーの著書を読もうとしたことで、夫から離婚を言い渡されたころの身体症状が身体記憶として蘇ってしまった。私も孤独を感じていた時期あったよー。

 

2020年11月の私の日記「夫にその本を読むなら離婚だと言われた」

https://clairefr.hatenadiary.com/entry/2020/11/14/225554

 

2020年12月「あなたには価値がある」共感、共鳴なくても

https://clairefr.hatenadiary.com/entry/2020/12/02/060519

 当時は新型コロナの影響で簡単に行き来できる状態でもなく、その友達は、SNSで他の本の表紙を私に送ってきて、「私たちは今、この本を読んでいて、私と夫は幸せよ」みたいなメッセージを送ってきた。今、考えれば、ポジティブで素晴らしいメッセージなのかもしれない。一昨日も、彼女は夫婦はその本を読んで、愛の言葉を語り合うべきだと言っていたので、彼女にとっては大事な本を教えてくれたのだろう。

 

   だが、 あの頃の私は、彼女の言葉や態度によって、ますます孤独を感じた。彼女が国籍フランス人なのもあるのだろう、ヒトラーの本を読もうとしたことが悪い、という立場だった。私への共感は感じなかった。あの頃、私は夫に人格否定され、離婚するとも言うし、誰も味方する人がいなくて、フランスで孤立無縁だと、孤独だと感じていた。

 

 結局、私は夫に従って、その本を買わなかったが、ヒトラーの本を読むことそのものが人格否定されたり離婚を言い渡されるほど間違っている、とは、今でも、思っていない。 日本では学校の教材として、使われることもある本である。

 

 彼女に触発されて、私は、あの頃の苦しかった体と心が急に再現されて、眠れなくなった。

 

 でも、あのとき孤独を感じ、一人きりで考えた時間が悪かったとも思っていない。孤独だと感じる時間もまた、人生に必要だ。あの頃、私は、彼女や夫が私を承認しなくても、自分で自分を、承認してあげたのだ。

 

 だから、私がどうやって克服したか、一人で紙に自分の思いを書いて、自然の中で破る、だとか、アロマ・キャンドル、塩風呂、部屋に花を飾るなど、いろんな自分を癒やす方法も友達に提案した。また、気分転換できるようなショッピング、展覧会、公園なども、提案した。

 

 「あなたにはセンスがある。才能がある」と言って、彼女の仕事に集中するよう仕向けようともしてみた。

 

 だが、彼女は私に夫婦の問題を話したくて、話足りなくて、私が彼女の話をもっと、聞くべき、と怒っている。

 

 「私の方が、あなたより孤独で、だから、友達なら、話を聞くべき」と私に言う。彼女の時間が有限では、ないように私の時間も有限ではない。そもそも、誰が誰より、孤独かと比較されている時点で居心地が悪い。人間は皆、一人で生まれて一人で死ぬのだ。

 

 夫婦関係は元は他人だもの、誰にだって簡単じゃない時期がある。でも、夫婦喧嘩は犬も食わないというように、私が話をたくさんたくさん聞いてあげて、しばらくしたら、「私たち幸せよー」とあの頃、私にメッセージしてきたように、送ってくる気がしてならない。そして、そうであることを祈ろう。

 


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 実は、私には、私の話を良く聞いてくれる日本在住の友達がいる。だから、孤独と言っても、確かに、これまで、その友達に救われて来たと、思う。ありがたいと思う。

 

 直接お返しできなくても、頼りにしてくる他の友達の話を聞いてあげるのが順繰りというものではないか、私は心が狭いのではないか、とも思って、話の聞き方の情報を探し、興味深い記事を見つけた。

 

ダ・ヴィンチニュース「人の話を聞くと疲れちゃう人に朗報! 精神科医お墨付きの“聴く技術”とは?」

https://ddnavi.com/review/538982/a/

 

 この記事の内容、確かにそうだなあ。人の話を聞いているようでいて、自分の声を聞いている、自分の思考を聞いていると思う。そのことによって、疲れているとも思う。だからこそ、親しすぎる人の話、過去にいろいろいきさつがあった人の話を黙って聴くのは、カウンセラーのように、少し遠い、自分と直接関係ない人の話を聴くより、難しい面があることもある気がする。

 

 フランス語が多少分からないから聴き流せるというものでもないようだ。

 

 ダ・ヴィンチニュースの記事の中には、「頭の中の雑念を取り除きながら『今』という瞬間に集中し、相手の話に耳を傾けていくのがポイント。相談をされた時こそ『何ができるか』と考えず、相手の話を無条件に受け止めていく必要がある」と書かれている。なるほどなあ。この5行で書かれたことを実行するのが難しい。無条件で聴くのが難しい。

 

 一方で、話の内容そのもの以上に、彼女の発する負の感情、怒りや嫉妬のエネルギー、強い語調に疲れてしまっているとも思う。彼女は「友達はこうあるべき」と言いながら、私を、彼女の負の感情を捨てるゴミ箱として使っている気がしてしまう。

 

 その意味ではもし、彼女が話すのではなく、フランス語で書いて送ってくれるなら、語調を聞かなくて済む分、もう少し冷静に読める気がする。

 

 カウンセラーは言葉を遮らず、うんうん、と聴くと知っているので、話を聴くとき、私はそれを実行してしまい、だからこそ、友達も他の人ではなく、私に話したい、もっと私に話したい、と、いつの間にかカウンセラーの役割にされているのだろう。だけど、私の中に沸いてくる感情や言えなかった言葉は自分に、跳ね返ってくる。「聴くプロ」ではない私は、自分を守る術を知らない。

 

 私とその友達の関係を考えるとき、名越康文さんの、このYou Tubeが思い浮かんだ。

 

「無意識に支配された人から距離を取れ」

https://youtu.be/-qyXqLAwQl8

 

 「ある種の特殊な怒りには気を付けろ」と名越さんは言う。なぜ彼女は、私に自分の怒りを語りたがるのか、結局、私が引き寄せているのだろうか。


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