パリ徒然草

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子供が持てなかったことは悲しい

 最近、上記の本をアマゾンのキンデルで読んだ。

 読みながら、自分の人生を振り返った。

 なぜ私には、子供がいないのか。

 小学生の作文で、私の夢は、子供が2人か3人いるお母さんになることです。料理も裁縫も好きだからですーと書いた記憶がある。

 「お母さんが夢」というのは現代では通用しない、教師だとか、看護婦だとか、職業にしろ、書き直せ、と当時の担任教師に何度も言われた。なりたくもない職業を書いて書き直した作文、提出したっけ、しなかったっけ?

 振り返ると、凄く子供が欲しい時期もあったし、かと言って、相手の男性が望まず協力を得られないこともあったし、仕事に没頭し、まったくそのことについて考えていない時期も、あった。子供云々の前に、失恋したり、男性不信の時期も、あった。つい最近まで、楽天的に子供がまだ、できると思っていた。できたかもーと喜びと不安半分だったのも数年前だ。

 積極的に子供を作らないことを選択してきたわけではない。

 一方で、8歳の頃、30代の叔母がまだ、幼い娘を残して白血病で亡くなった。小学生で同じクラスの子が病気で亡くなってお葬式で追悼の言葉を読んだ。従姉妹たちが不妊治療に600万円、800万円程度をつぎ込んでも子供を持てなかった話も聞いた。

 学校教育で被爆者が病気になって死んでいく話を読まされたことも関係して、自分のからだや子育てや妊娠に関する漠然とした不安がどこかにあって、漠然と不妊治療してまで、という思いにつながっていた気はする。


 言い訳はいろいろ思いつくが、今、振り返ると、いろんなシーンでもっと、自分を貫くべきだったかもしれない。小学校の教師にすら、そう簡単な時代じゃないかもしれないですよ、と言える、ぶれない強さが必要だったかもしれない、とは思う。自分の人生の責任は自分でしか取れないのだから。


 この本は、子供がいない人が抱える相続、老後、将来に向けてしておくべき備えなどの実際的な問題に触れる実用書でも、ある。さまざまな分野の専門家による寄稿によるアドバイスもあり、脳科学の立場から子供を育てている女性といない女性の脳の違いなど、私の知らなかった知識も得られた。


 だが、一番良かったのは、13人の女性のさまざまな理由を人生の軌跡を読みながら、自分の心に蓋をしていたことに気づいたことだった。

 
 最近、三島由紀夫の小説「豊穣の海」を読んだとき、この小説に登場する一人息子を戦死で失って、戦後、社交の場でも、泣いてばかりいる婦人に、読みながらイライラさせられるなあ、困った存在だなあと思った(読者にそう思わせる書き方でもあるのだが)。そんな私が、生まれてもいない子供について悲しむって、どういうことだ?そんなことが許されるのか?今持っているものに感謝して前向きに生きるべきだー自分自身にそう言って鼓舞してきた節があったかもしれない。見ないようにしてきたのかもしれない。


 小学生のころの夢を私はついに叶える事ができなかった。それは単純に悲しい。せめて自分だけは、悲しいと思っていることを認識していた方がいい。自分に自分で嘘はつかないほうがいい。悲しいと思っていることに、気づいたときから、手放せるのだから。

 この本の中には子供を持てなかった85人の女性へのアンケートがある。その設問の中で、「来世、子供がほしいをですか」という設問にイエスと答えたのは約半数、「ほしくない」は、わずか7%だった。

 
 親になれない私は、死ぬまで子供、永遠に子供だ。
 
 日本では、5月の初めが母の日だった。私が送ったマドレーヌとバームクーヘンなどのセットは、母の元に届いた。母は「ネット注文のお菓子は、小さい」と、電話で言っていた。でも、私がこの贈り物をもらえる日は一度も訪れないだろう。

 フランスでは、5月29日日曜が母の日である。義母に今年も花を贈るだろう。毎年、バラの花を贈ることが多かったけれど、今年はボタンやカーネーションもいいかもしれない。選ぶのは楽しい。

 こどもの日と母の日がある5月。だから、この5月をもやもやした気分で過ごす子供を持てなかった女性たちは、少なくない。