パリ徒然草

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本を捨てるのが難しかった 「宮台真司 14歳からの社会学」を友人に渡したら…

 フランスに帰る日の前日、私は自分が実家に長い間置いていた本やCDを友人に渡した。約束の時間に遅れそうになり、それらを手にして道をバタバタと走っていると、本を入れていた紙袋が本の重さで、破れそうになった。多くの本の中で、一冊の本の著者とタイトルが目に入った。

 

 「宮台真司 14歳からの社会学」。この単行本、結構、重いな。。。

 

 「ゴミみたいな物だけど、一つでもためになるものがあったらいいけど。適当に処分してね」と渡した。「ゴミとはあんまりの言いようだ」と友人が言ってくれた。確かに、著者は有名な人が多く、著者に対しては大変失礼なものの言いようだった。

 

 でも、中古の本やCDに市場価値はほとんどない。中古CDに至っては、引き取ってくれない中古業者も出てきたらしい。

 

 そして、私が飛行機でパリへ向かう間に宮台真司さんが大学で襲われるーというニュースが駆け巡っていた。何だか、不吉な本を友人に渡してしまったようで気になった。宮台真司さんの命に別状ないとのことでホッとした。

 

 正直、その本に何が書いてあったか覚えていなかった。実家滞在中に、パラパラとページをめくる時間もなかった。「14歳からの」というタイトルが印象に残って、友人の息子さんが社会学という学問や人間社会について考えるきっかけになれば、くらいの軽い気持ちだった。

 

 本というものはただの物質じゃないのかもしれない。誰にでも、どの本でも渡していいというものではないのだ。考えさせられた。

 

 日本の実家滞在中に自分の部屋の整理をした。母が庭仕事や家の掃除が大変だと言い出しているし、歩けない、立ち上がれない時期もあったようで、引っ越したくなったら、より便利な町中心部の小さなマンションにでも引っ越せばいいのになあ、という私の勝手な思い込みからの行動だった。

 

 本、CD、アルバム、写真、服。いくつかの物がまだ実家に残されていた。長い間、捨てずにいてくれてありがたい。滞在中に私はそれらを整理した。それは、過去の自分と向き合うことで、気が滅入る作業でもあった。

 

 何も見ず、すべてをゴミに出してしまえば良かったかもしれない。ゴミ捨て場は実家から徒歩30秒の場所にあった。

 

 本だけで、100冊くらいあった。数十冊はゴミに出し、少しはそのまま実家に残した。母に手渡した料理のレシピ本やフランスの絵画の図録などもあった。

 

 結局、20冊以上をパリまで、持ってきた。スーツケースに本やCDを入れていたら、空港で「スーツケースが26キログラムなので、追加料金になります。入れ替えたらいかがですか」と言われ、慌てて、手荷物として機内に持ち込むリュックサックに入れ替えた。

 

 日本滞在中に従姉のマンションに行った。従姉は当初、私の実家から徒歩5分程度の一軒家に住んでいたが、今では町中心部に近いマンションに住んでいる。そのマンションからは海が見え、花火大会の日には、ベランダから打ち上げ花火も見える。エントランスの雰囲気はホテルのようだ。夫婦二人で私たちのパリのアパートの3倍くらいの大きさの住居に住んでいた。ちなみに、マンションの価格は15年前に購入したときよりもはるかに値上がりしているそうである。

 

 そのマンションは病院が近い。介護施設も近い。商店街にも近い。従姉は専業主婦で車を運転せず、介護施設にいる自分の両親にしばしば会いに行っている。徒歩だけでも生活できるそうだ。その地域だから、できることだ。

 

 バスの運転手を定年まで勤め、無事故で表彰された伯父も、80代で運転免許証を手放していた。だからこそ、高齢者にとって、高齢の家族がいる人たちにとって、病院等が徒歩圏内の地域は魅力的である。

 

 私は母がこの地域に引っ越せばいいと思った。まあ、でも、それは、勝手な私の思い込みだったようだ。母は、不便であっても、ご近所さんとも気心の知れた住み慣れた場所に住み続けたいのだった。だから、家の塗装工事をしているのである。実家の一軒家は車が入らないので、どんなに改装や改修にお金をかけても、市場価値はない。

 

 まあ、でも、生きるって市場価値だけではないよな。私自身も市場価値がほとんどない本やCDをただ、ゴミとして捨てることができなかった。行商人にように、それらの入った重いリュックサックを背負って、23キログラムの2つのスーツケースとともにパリに帰宅したのだった。