パリ徒然草

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実家に帰るという過去を振り返る心理療法 「居場所がなかったから、どこへでも行ける」

 私は自分の小学校時代が大嫌いだと気づいた。

 

 私はまだ、過去に働いていた会社を辞めたときのことを引きずっているんだ、と分かった。

 

 実家に帰って良かった!!!。

 

 ネガティブなことを話すな、書くな、という人たちがいる。過去を振り返るな、という人たちがいる。そうだろうか?

 

 もし、そうであるのなら、いくつかの心理療法やカウンセリングの手法は否定されるべきだ。

 

 日本に一時帰国というけれど、私は実家に帰った。実家に帰るのは、結婚した女性なら、しばしばあることではないだろうか。まあ、以前の同僚に実家と全く縁を切っていた人もいるけれど。

 

 実家に帰ってやった行為の中で、アルバムの整理、これは、まさに、過去の振り返りだった。

 

 写真そのものには、何の罪もない。多くの人が笑っている楽しげな写真。だけれど、私には楽しい感情が全く湧いてこない写真がいくつかあった。苦しくなる写真がいくつかあった。無理していたのだなあ、と気づく。

 

 小学校時代、私は高熱でも出ない限り、ほとんど休まなかった。嫌いだということを自分で自分に言うことさえ、蓋をして、生きた。そういえば、教師に「表情のない子供」だと言われたことがあった。

 

 心理療法の中で、大事なのは、蓋をしていた本当の気持ちに気づくことである。そして、その気持ちをしっかり味わうことである。今、「大嫌い」をじっくり味わおう。

 

 そもそも嫌い、というのは、ネガティブなことだろうか。嫌いなものがあるということは好きなものもある。嫌いの裏側には、自分の理想が隠されている。

 

 本当の気持ちをじっくり味わった後で、その記憶を手放すことができる。

 

 約10日前、小学校の建物を遠くから俯瞰した。以前より随分きれいに整備されていたが、私には監獄のように見えた。でも、同時に別の見方もできるだろう、と、もっと俯瞰できる自分もいた。

 

 ありがとう。小学校時代。

 幼少期がこんなにも、大嫌いだから、私はどこへでも行ける。あの場所に、比べれば、まだ、マシである、と思うことができる。自分の居場所がそこにないから、どこへでも行ける。そういう経験をするのは、若ければ若いほど、良い気がする。

 

 大嫌いな場所、そこを生き延びた。私はサバイバーである。本当の人生はこれから始まる。