『 愛とは、何ですか。
ーすべての感情を許すこと。
怒っちゃだめ、恨んじゃだめ、ということでは、ない。
感情を持つことを許す。感情に感謝する。
感情は、次の扉に向かう鍵。
その後ろに、「恨む」という感情の後ろに、「怒り」という感情の後ろに、実は扉がある。
感情を許してあげないと、その後ろの扉は、現れない。
「許す」ということが「愛」だと、感じる。 』
ー宇宙経営、平井ナナエさん
You Tubeで、聞いたこの言葉が今の私にしっくり来た。
このブログを書き始めて1年が経った。
昨年3月16日にマクロン大統領がTV演説で新型コロナウイルスに関連して「戦争、戦争、戦争」と6回言うのを聞いて、ショックを受けたのが、きっかけで、このブログを書き始めた。
今となっては、「戦争」について、その時、自分がどう思っていたのか、恥ずかしがらず、蓋をせず、正直に、受け止めることができる。
○戦争は嫌だあー!
○えー、戦争になるの? 怖い。辞めてー。
○戦争という言葉を使わないでー。「引き寄せ」の法則って、あるらしいから、何度も、何度も、連呼しないでー。
そんな気持ちだった。
あのときの恐怖や怒りの自分の気持ちを今、受け止めようと思う。
その感情が湧いたのは、自分の理想が自分の願いがあったからなのだ、と今になって思う。その感情はエネルギーだったし、だから、ほぼ毎日書くことができた。途中から、マクロン大統領に感謝するようにすら、なっていた。そう、まさに、恐怖という感情の後ろに、扉があった。
そして、鍵は持っているつもりだけれど、まだ、完全には扉は開いていない。いくつか読みたい本がある。見たい映画がある。考えてみたいことがある。
今日までにたくさんの人に閲覧していただいた。ありがとうございます。はてなブログには、第1位から第5位まで、自分の書いたブログで、一番読まれているものが、現れるシステムがある。
私のブログの中で、現在、一番読まれているのは、「イルミナティ」である。長い間、1位である。「ロスチャイルド男爵亡くなる」は上位にいたし、昨年8月に「小児性愛や人身売買が明らかに」というタイトルで書いた子供への性的虐待などについての話も、長い間、1位になっていた。こうした問題への人々の関心の高さが、伺える。
それは、私がフランスに、パリにいるから、書けるという記事では、ない。情報源は、書物やサイト、You Tubeになる。自分が撮った写真を載せることとは、関係ない。
ブログに広告を付けて収益を考えるのであれば、タイトルも変え、住んでいる場所も明らかにせず、こうしたテーマの関連本の要約や感想を発信するという方法もある。追々考えておこう。
一方で、お金を稼ぐために、テクニックとして書いたり発信することに関して、どこか抵抗がある。読者が求める内容だけ、閲覧数が増える記事だけを書くことに抵抗がある。
もし、この世界にイルミナティあるいは世界を支配する人たちがいるのなら、お金を、小銭を、追いかけていても、意味がないと思う。読者に媚びた記事を書いて、閲覧数に一喜一憂した所で、彼らよりも私が金持ちになる日が来るとは到底思えない。絶対ない。
ちなみに、ウィキペディアによると、マクロン大統領は、億万長者である。ロスチャイルド&Cie銀行マネージングディレクターに任命され、2010年、ネスレが乳幼児飲料を中心としたファイザーの最大の子会社の買収を担当した。この総額90億ユーロにものぼる取引での分担金により、マクロン大統領は億万長者となった。
1602年にできたオランダ東インド会社が世界で初めての株式会社だった。株式会社は、事業によって、利潤を追求することが求められる。でも、私という人間は、株式会社では、ない。
今、ここを楽しむこと。心の声に従うこと。金銭的に成功している人よりも、今、ここを楽しむことはできるかもしれない。人生とは、今、ここ、の連続でしかない。
昨日、ディエップについての観光案内を書いた。大した読者数がいないブログに書くよりも「地球の歩き方」に情報提供すべきか、迷った。
でも、早く載せたかった。送った所で、載せてくれるかどうかも分からない。それよりも、たった一人でも、私の観光案内が役に立つ人がいればそれでいいと思った。フランス在住の日本人、たくさんはいないかもだが、今はコロナで大変だからこそ、次に行く人が私よりも効率良く回れて、楽しく過ごせたなら、私も嬉しい、と思った。
フランスの写真を撮るのは、フランスが美しいと思うから。その写真を公開するのは、それを誰かと分かち合いたいから。他の人にも、その美しさを見てほしいから。写真は一瞬一瞬を、今のその瞬間を切り取ってくれる。
「戦争」の連呼に怒りが湧いたのも、フランスが、好きだからだった。フランスという国への勝手な理想像があったのかもしれない。自由、平等、博愛のような。私の理想像は勘違いだったのかもだが、これも愛の一つなのかもしれない。一年間ラブレター書いたのかも。
他人の喜びを自分の喜びと感じ、他人の痛みに一緒に悲しめて、価値観が違ってもああそうなのね、とそっと離れる、もし、ただ、それだけのことをすべての人が、できれば、争いはないだろうに。甘いと言われようと、せめて、自分だけでもそうあるよう心がけよう。
【写真はすべてディエップ】