5月30日日曜日、夫とともに、ヴァンセンヌの森に行った。
前日の土曜日、パリ市内中心部の人の多さに恐れをなし(コロナ前よりはそれでも人は少ないのだが、レストランやカフェに歩道を取られているので、密集する場所も少なくない。コロナ感染以上にスリが怖くバッグをにぎりしめる私。路上生活者も増えた印象)、ゆっくり過ごすため、少し郊外に行こうと考えたのだが、あいにく、地下鉄4番線が工事のため終日動いていない(来週日曜日もだそう)。お目当ての森(サン・ジェルマン アンレーなどの候補があった)に行くのは乗り継ぎ回数も増え、乗車時間も増えるので、結局、ヴァンセンヌの森へ。
新型コロナの影響で10キロ圏内までの移動制限のとき、制限さえなくなれば、パリ郊外のいろんな森に、行きたいなあ、と思っていたのに、10キロ圏内の何度も行っていた森にまた、行くことになった。
それでも、5月末とは言え、パリは新緑の季節。お天気が良く、空も澄み切っていて、気持ちいい一日が過ごせた。
ヴァンセンヌの森の中でも、いつもとは全く違う、行ったことのない場所に行った。
地下鉄8番線のリベルテを出て、ヴァンセンヌ自転車競技場→シャラントン ル ポン墓地→ヴァンセンヌ競馬場→グラベル(Gravelle)湖→樹木園(arboretum)
と歩いた。
リベルテ(Liberte)という地下鉄駅。直訳すると、「自由」の意味。「日本にも、そういや、自由が丘って、あるんだよ」、そんなたわいもない話をしながら、緑の中を進む。リベルテのある場所はパリ市の隣だが、Charenton-le-Pont(シャラントン ル ポン)市である。
そして、誰もいない墓地へ。
シャラントンと言えば、マルキ・ド・サドつまりサド侯爵の亡くなった場所だね、と夫が言った。そうだった。また、出てきた。また、サド…。
夫はサドの著作に抵抗があり、ラコストに行くことを当初は嫌がっていたのだが、今では、なぜだか、サドの生涯について私よりも詳しくなって、いろいろ、説明してくれる。「サドはパリで生まれたんだ。ラコストにいたのはほんの数年だよ」
夫が「ウィキペディアによると、マルキ・ド・サドを看取った医師の墓がこの墓地にある」と言いながら墓地をどんどん進んで行ったのだが、墓地全体に私と夫しかいないし、怖くて、お願い、帰ろうと引き返した。
サド?ーあり得ない。という、くらい、幸せに満ち満ちた、天気の良い一日だった。家族連れ、カップル、若者の集団、サイクリスト、一人で歩いたり走る人も、みんな光の中にいる。それは10日ほど前のラコストでの一日に良く似た気持ちの良さだった。
中でも森林浴が素晴らしい。この緑色は1年のうちでも、この時期だけなのだ。
人間はいつも自然の恩恵を受け、このような天国にいれば、他人からどう思われようが、それで十分じゃないか?
【グラベル湖】
【しばらくすれば、睡蓮の花が咲くかも】
でも、きっと、毎日、その天国にいると、人間は飽きちゃうのよね。
シャラントンでネット検索すると、「マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」という長いタイトルの映画が出てくる。
演劇や文学も映画も、登場人物たちが常に天国にいて、楽しい、幸せーという話では誰も、見に来ないですよね。
ちなみに樹木園には、Japon(日本)とかかわりあるのかなという木もあった。
この木にはsapin de Nikko(日光のモミ)という説明板がかかっていた。
上の写真の木は「sophora japonica sophora du Japon pleuruer」という説明板がかかっていた。
いろんな木があって、説明板で木の名前や原産地を見ることができる。
隠れんぼに良さそうな木もあった。
私は、お墓は探さなかったけれど、密かに森の中で、ブルーベルというブルーの花のじゅうたんを探した。ブルーベルは見つからなかったが、緑のじゅうたんがきれいだった。
黄色い小さな花のじゅうたんもあった。
(注)
地名、フランス語の単語等を調べるのに、時間がかかり、30日と31日の日記の順番が逆になってしまった。ブログを書いていなければ、森を歩いたー、で終わったろう。木の名前の翻訳、未だによく分かりません。